Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

CBM その14

ブレ様自伝翻訳行きます! TOEIC800レベルの正規教育受けてないど素人が訳したことをご了承の上でお読みください。原典読まれた方で、明らかにおかしい箇所があればご指摘お願いします。 家事を取り仕切る傍ら、僕らの服の殆どを母が作っていた。母が本を…

CBM その13

僕らが持っていた物の全ては、自家製か中古だった。母と姉と僕は慈善バザーの常連だった。毎週日曜の午後、地元の会館で、肘鉄を食らわしてくる年金受給者と戦った。飾り物、本、下着でさえ、2・3枚の銅貨でかっさらわれ、家に輸送された。どういうわけか…

CBM その12

ブレ様自伝の翻訳行きます!TOEIC800レベルのど素人が直訳したもんですんで、それをご了承ください。原典読まれて、明らかな誤訳があれば教えていただければ嬉しいです! 僕が六才か七才のころ、ブランディーヌと僕は日曜学校に通い始めた。僕らの地区の…

CBM その11

僕の父がとり憑かれていたのはリストで、姉は「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」だった。ペーパーバックの本を何度も読むので表紙がボロボロになったので、レースとデニムの切れ端と、彼女流に作られた水彩のヘーゼルとフィバーとその他をあてがった…

CBM その10

勿論、もっと気楽な時もあった。父は穏やかで寛大で優しく面白く、素晴らしく反物質主義で、八十年代の押しつぶされそうな野心的な空気からは影響を受けておらず、彼の段ボールと絵でできた小さな王国で満足していた。驚くほど現実的で、のこぎりとドリルと…

CBM その9

僕はスコットランドの伝統からは距離を取らなければならない。明らかに、苗字のせいであるのと、祖父が王立スコットランドフュージリア連隊のマーチングバンドでバグパイプと太鼓を演奏していたからであるのだ。彼はよそよそしく、堅苦しい見た目の、古めか…

CBM その8

彼が生まれたのは軍人の家で、ベンツウッドという陰鬱なヘイワーズヒースの共同住宅で育てられた。全く同じ狭い1930の家の一つで、アルコール中毒と暴力と失敗に満ち、古いシェリー酒とドッグフードの臭いと小さな暖房機の冬のこもった空気があった。祖…

CBM その7

父の庇護のもと暮らすというのは、一見意味のないルールの荒野の中をゆっくり進んでいくことを含んでいた。彼が顰め面で言ったのは、彼の唯一の贅沢は「少しの煙草とレディオ・タイムス(ラジオやテレビ番組を載せた雑誌)」だ、と。よくそれらをゴラムのよ…

CBM その6

白黒の六十年代をサイドカーを付けたBSAのオートバイでヘイワーズヒースを巡航し、母はサイドカーの中で不安げに縮こまって腰かけ、髪型がダメにならないかと心配していた。家族が増えたので、彼が手に入れたのは、オートバイの免許で運転できるリライアント…

CBM その5

色んな意味で、僕の子供時代の躾は異常なまでに正常だった。けれど、同時に奇妙なほどに型はずれで、僕らは絶対に上手く行かないようだと感じた。表向き僕らは優雅なサセックスに住んでいたけれど、僕来の家は観光客が決して訪れないところにあった。町はず…

CBM その4

家は小さかった。とても小さかった。僕の父が死ぬ前、僕は義務を果たすようにクリスマスには家を訪れては、いつもそのおもちゃのような大きさにショックを受けるのだった。僕には姉もいた。可愛いブランディーヌ。ロマンチックなハンガリーの作曲家、フラン…

CBM その3

僕が生まれたのは、サマー・オブ・ラブ(1967年にアメリカで起こったヒッピー文化現象)の直後、僕の父が38年後に死んだ、まさにその部屋だった。僕の両親の寝室だった。母は画家志望で、地元の、金持ちだが吝嗇の婦人たちに安い値段でドレスを縫うこ…

CBM その2

面白いのは、物を書くということが、僕に広げられた真実の在り様について考えさせたことだ。どれだけ勇敢に事実に忠実であろうとしても、一つの視点からしか見れないからだ。興味深いことなのだけれど、自分の周りにいる人は違う視点から見ているかもしれな…

CBM その1

序文 これは過ちについての本だ。貧しさと家族と友情とだらしのない若さゆえの不思議と、必然的に、愛と喪失についての本になる。僕が書きたかったのは、お決まりの「コーラとゴールドディスク」についての回想録じゃない。僕たちがとても有名になって成功し…