Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その15

ブレ様自伝翻訳行きます!ど素人が訳したものだということをご了承の上お読みください。原典読まれて、ここは違う、というのがありましたら、ご指摘お願いします。

 

 父方の家系がケント州の出身である一方で、母方の家系はサセックスの田舎だった。母の実母は僕が生まれる前に乳がんで死に、父親は引っ越して再婚した。彼は、新しい家族に利益を再分配することに余りにも熱心だったから、僕と姉は彼に一度しか会ったことがない。僕が八歳くらいの時、ルーイスの小さな家で、ちくちくした居心地の悪い午後がティーカップの上に覆いかぶさっていたのだった。母はよく、青く頑丈な、後部に僕の父が大きな木箱を付けた三輪車で村を走っていた。それは食料雑貨を運ぶためでなく、舌を出してハアハア息を切らせ涎を垂らしていた、彼女の最愛のウェルシュ・スプリンガー・スパニエルのミスティーを入れておくためだった。母がペダルを思い切りこぐと、世間の人々は眉を吊り上げた不可解な表情をするのだった。もっとリラックスしている時、母は繊細でロマンチックで、よく彼女の小さなカセットデッキジョニ・ミッチェルストーンズを聞きながら座って絵を描いていた。彼女がただただ自分を甘やかすために、ほんの極たまに自分に許したのは、贅沢なカーネーションのコンデンスミルクだった。それは厳しく質素な子供時代に許された貴重なご褒美だったのだろう。そして、それこそがどうしてか彼女をさらに傷つけているように見えた。母がいつも身に着けていた冷たい自制のローブは捨てられ、キッチン机に座り、少女のように微笑んで小さな声を出しながら、白いスプーン一匙のべたつきを口に運んだ。彼女は温かみがあり愛情深く、優しかった。そして僕は母が死んだらどうしようかと心配だった。

 

お母様も大変だったんですね。