Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その16

ブレ様自伝翻訳行きます! ど素人がNO知識で訳したものだということをご了承の上お読みください。原典読まれて、これは明らかにおかしいという部分がありましたら、ご指摘お願いします。

 

母が時折身に着けたのは、鏡台に置かれた、超現実的な見た目のポリエステルのカツラだった。一種の六十年代の遺物のように、髪を梳かしヘアスプレーをかけ、自分自身にもヘアスプレーをかけていた。僕が確信していたのは、それを吸い過ぎたため彼女は癌になったということだった。そして、全ての息子がそうであるように、母親の温もりと愛を否定されることを恐れていた。今回、アイゼンガルドとモルドールのように、僕の怖気づいた心象にぼんやりとあらわれた二つの恐怖は、有毒なヘアスプレーへの強迫観念と、八十年代初めにあった核による攻撃への常駐する脅威だった。まだ世界が冷戦に偏執的に締め付けられ閉じ込められていた。それが本当に起こりそうに思われ、常に無責任で利己的なプレスによって恐怖を煽りたてられていた。人々は哀れにもずっと爆発による損害の試案を熟読するか、でなければ、恐ろしいことが起こって生き残るのか、瞬時に蒸発してしまうことのどちらがいいのか憂鬱そうに思案していた。そのつまらない議論は我が家のキッチンのテーブルでもうろついていた。そこで母はナイロンの服で焼かれる苦しみや、ウサギたちを救う時間があるか否かについて、厳格に尊大に話すのだった。母は貪欲な読書家だった。絵を描いたり縫物をしていない時は、ストッキングを穿いた足を腰かけ椅子に上げて座り、小説に没頭した。僕は母にぴったりとくっつき、腕の中に頭を埋め、小説の粗筋について質問攻めにして妨害し、僕が見れる挿絵がないかと訊いた。母の文学への愛は僕に流れ込み、若い時にはすっかり冬眠しているかのようだったのに、今や本への欲求はほぼ狂暴に近くなっている。

 

政治とか全然分からないから、八十年代・九十年代のイギリスの政治分かんなくて泣いてます。