Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その27

ブレ様自伝翻訳行きます! 相変わらずのグダグダ翻訳ですが、飽くまで本格的な知識も技術もないど素人が訳していることをご了承の上、お読みください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたら、ご指摘お願いします。誤字脱字の指摘も歓迎です。

 

 新聞配達は大変に重大な僕の唯一の収入源で、レコードを買うために重要になるのだった。朝の五時半に自分の体をベッドから引き摺り出し、自分の自転車に乗って、ヘイワーズヒースのどん詰まりを、手探りでフラフラグラグラと、ミドル・サセックス・タイムをアルミニウムの郵便受けに押し込みながら進んだ。これで僕が得たのは週に3.5ポンドだった。今日の基準からすれば奴隷労働なのだけれど、1981年には素晴らしい額だった。日曜の新聞配達の手当の1.25ポンドで、僕は十分に溢れんばかりのレコードを自分に与えることがでいた。ブランド・ニュー・エイジ(パンクバンドUK Subsのアルバム)、ザ・ステーション・オブ・クラス、シド・シングス(シド・ヴィシャスのライブアルバム)、他の多くのとても神聖な有名ではない宝石が僕の寝室に帰り道を見つけ、僕のターンテーブルの祭壇に設置された。それは古く、姉が家を出ていく時に僕に残した、何度も使い古された聞きにくいオーディオだった。電位差計は非常に古く、スピーカーはよくブツブツガタガタ言い、咳をしているようで、音はザラザラで、文字通り実際の肉体性と重要性が欠けていた。でも、僕はずっとその正確さと明確さの欠如が、僕が音楽を聞き出したことに関係なかったんじゃないのかな、と思ってきた。ステレオはとても薄っぺらい音で、きっと音楽の低音を聴かないように学習し、僕が20代になって夢中になるまで、ベースの重要さが分からなかった。僕にとって全てはトップラインと曲だった。ピート・タウンゼントが彼が明らかに聞き間違えたヒット曲のバージョンを書いたのと同じやり方で、壊れたハイファイの歪んだプリズムを通して音楽を聞き、重要そうでないものは篩い落とした。僕は音楽の鋭さに気が付かなくなり、簡潔明瞭に僕に語りかける音楽に夢中になり、コード進行と歌詞とメロディーの力ただ追うだけだった。最終的に僕が曲を書き始めて、そのやり方にこれは流れ込んできた。コーラスの巨大なうねりと、トドメの一撃としての簡潔なパンチの効いたフレーズを探し続けて永遠にのたうち回る。とにかく、ずっと、ずっと自分自身の物を創り続けることだ。真似をすることはそれから遠ざけられてしまう。僕の能力のパラメーターは、最初は限られていたが、僕が僕にできる、僕だけのやり方で能力を広げていったら、最終的に本当の強さとなった。