Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その41

ブレ様自伝翻訳行きます! グッダグダな翻訳でも宜しい方だけご覧ください。原典読まれた方で、あきらかにおかしい箇所ありましたら、ご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕は父のこういう小さな記憶を共有することで心無いと受け取られるよう意図してはいなくて、いくつかの記憶が彼を良く見せないことも知っている。けれど、このことについて書くことで僕が今も学んでいるのは、僕の記憶に深く埋もれた父についてのことを掘り起こすにしたがって、自分自身と歯止めの効かないままだったら自分がなりそうな類の人間についても掘り起こすことになり、だからその感覚は誠実であるために僕にとってとても重要だった。父を理解することは、勿論、僕自身を理解することでもあった。今日、僕に父との関係の性質について訊かれた時にはいつでも、僕が思う最適な形容詞は「複雑」だ。彼は魅惑的な人間の集積で、魅力的で暖かく親切で愉快で愛情深く、同様に好戦的で支配的で冷笑的で残酷だった。ある時は、雨に濡れていないか心配して、新聞配達をしている僕を見つけ出してコートを持ってきてくれるというような優しい無私な行いをして、次には他人行儀でチクチクした偏執狂的になり、「寄ってたかっていじめた」と家族を責め立てて荒れ狂った。父は闘争的で愛に溢れた困難な人柄だったけれども、その困難に沿うと、どういうわけか父との関係に特別性を持たせる、深い共感をもたらすのだった。全ての息子が鏡を覗き込むと父親が見つめ返していて、まだそうしていなくてもやがてそうなるし、年齢を重ねるにつれて、自分にはないと思っていたものが自分の中にも繰り返され、見知った様式と欠点に気づくようになる。僕が仮定するに、きっと精神分析科学者は僕が父に感じた鬱屈は、僕が父か何かに投影した僕自身への鬱屈と恐怖だと言うだろうけれど、無味乾燥な臨床的な辞書にこの全ての論争を引きずっていくことを望むのではなく、僕が作成した父の供述と証拠書類の一部は僕自身のそれであると認めるのは、僕にとって重要なことだ。遺伝的性質を解剖し、父と子と次へと繋げる鎖の連なりを解析することは。何十年も経って、この全てを「アイ・ドント・ノウ・ハウ・トゥー・リーチ・ユー」という曲の歌詞にして、ちょうど僕が、僕の息子と父を繋げる道の間に立っている状況で、そのスペクトラムを素描しようとしたのだった。親であることで視界がゆっくりと開けるにつれ、僕の頭の中に静かに取り憑いてきた考えだった。