Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その42

ブレ様自伝翻訳行きます! 勢いだけで訳したので、それを許せる心の広い方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお待ちしています。

 

 とにかく、父は僕のポップ・ミュージックへの興味をそんなにも深刻に受け取っていなかったのは確かで、あの若い日々の笑えるような技術の欠落を見るに、僕は父に共感せざるを得ない。実際、僕の足跡を辿る息子たちの考えには、僕を夜に瞑想させ、不安定な船出はバカらしいと助言させた。悲しいかな、強情に決心するのは必要で、横柄な視野狭窄に陥り、結果を出すのに時間のかかる賭けであり、成功に巻き込まれる純粋な運はほぼ乗り越え難いものだ。それに、現代のデジタル時代の報酬は不相応だ。そうしてくれたのは嬉しいのだけれど、僕が訓練や早い時期の特別な才能がなかったのに、与えられたキャリアとして音楽の道に入っていくのをどうして両親が許してくれたのか、正直分からない。だから、色んな意味で父の奨励がなかったのは、全く理解できるのだった。

 しかしながら母は、父ほどに厳しくはなかった。母は腰掛けて、忠実な精神の心地よい母性の中で僕を援助し、酷いフレーズをハミングした。父のような、意見を満載した怒りの戦場として音楽を見ていなくて、音楽の好みはもっと庶民的だった。絵画や刺繍の間に母が主によく聴いていたのは60年代のフォークだった。母いつも何かを制作し、創作し、修理していた。素晴らしい決意の感覚は少し僕に流れ込んだに違いなかった。欲しいものがあったら、自分で作ればいいという発想だ。ゆっくりと僕は、自分のソング・ライティングに不器用に手探りしながら、その精神を加え始めたのだった。

 しかしながら、父は異常なまでに音楽についてズケズケ言った。彼の狭い嗜好の埒外を逍遥するもの全てを残酷に嘲笑し突き回した。一度、何年か後に僕たちは再びロイヤル・アルバート・ホールに、ラフマニノフの「パガニーニの主題歌による狂詩曲」の演目を見に行った。メイン・イベントの前にバルトーク・ベラの実験的な作品があった。父はそれを嫌悪し、最後のコードが消えたら、喜びに満ちた拍手と最終音の隙間のわずかな時間に、父は飛び上がり、「ゴミだ!」と一番大きな声で叫び、束の間の硬直した瞬間、明瞭盛大に響いた。五千人のショックを受けた怒りの形相が僕らに向けられ、僕は信じられない気持ちで心臓を鼓動させてそこに座り、父の顔は傲然と勝ち誇っていた。