Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その45

ブレ様自伝翻訳行きます! 勢いだけで誤魔化してる翻訳でもよい方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかにおかしい箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕とサイモンはよく彼の寝室に座って不器用に安いエレクトリック・ギターをスラムして、「ストリング・ザ・イヤーズ・トゥギャザー・ライク・ビーズ(String The Years Together Like Beads)」や「オマージュ・トゥー・ザ・ビートルズ(Hommage To The Beatles)」のような、滑稽なタイトルを迂闊にもつけた曲を書いた。今となっては非常に可笑しいのだけれど、ブライアン・アダムスブルース・スプリングスティーンが人気の時代精神にそぐわなかったから、その時はワクワクする、斬新で、何となく風変わりに感じられたのだと思う。60年代のサイケデリックのロマンスに刺激され、オルダス・ハクスリーの著名な本の熱狂を通して、僕らが見つけたのは不思議なリゼルギン酸のマッシュルームだった。無料で、異様に力強く、僕らの退屈な町の奥地に横たわる霧深い秋の平原に豊富に植生していた。9月の朝、目覚まし時計をセットし、ウェリントンブーツとカグール(ひざまであるフード付きのアノラック)を装着して、落ち合って、呆然として、未だ朦朧とした意識で、だらだら歩いて、梅雨に濡れた秋草を超えて、貴重な白い荷物を探して、家に密輸してお茶として淹れていた。その時間は溶けて推移し、ぼんやりと目的もなく路地裏を通り抜け、環状道路を超え、迂回し、邪悪さに驚嘆し、ぺちゃくちゃと考え事を話す迷宮に埋没した。数年後、僕はその出来事についての、「ウェア・ザ・ピッグス・ドント・フライ(Where The Pigs Don't Fly)」という曲を書いた。その出来事は、何十年も後、多くのビネット(背景のぼやけた風景画)と発想を刺激し、忘れられた古い「ディス・ワールド・ニーズ・ア・ファーザー(This World Needs A Father)」というBサイドの曲のタイトルは、一つのそのような腐った探索から直接的に来たものだった。「ウェア・ザ・ピッグス・ドント・フライ」は、シド・バレット時代のピンク・フロイドの血管を通るシュールさと俗世間の結託の試みだった。「盗んだアイスクリームのトラック」とばら模様のジャンパーに包まれたキッズ達への言及は、僕がぐらぐらとラリった曲の枠組みの中に植えた、小さな子供時代の思い出の破片だった。僕が古いアリア・エレコード(ギターの種類)で書いた、僅かに下手くそなオリジナル・バージョンでは、なぜだかより強健で70年代サウンドになったスタジオ収録されたものより、もっと気まぐれでひ弱だった。「あり得ないことではない、誓います」という詩は、恐らく、それがどれほどひねくれているか総括し、文字通りデザインを手直しされた状態の侘しい郊外の道を転げ回るような、日常世界のよく手入れされた秩序を奇妙に笑える幻覚に変形させたのだった。