Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その52

ブレ様自伝翻訳行きます! マジで日本語としての統制とれてないんで、おかしな文体になってます! それをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 バンドはしばらくの間よろよろと進んだけれど、ちゃんとしたギグのブッキングもなく、最初のアドレナリンがでる熱狂が消えてしまうと、避け難い怠惰が侵入し始めた。きっとガレスは「旅行に行ってしまった」のだろうと思う。そして大学がバンドを消滅する方向に僕らの興味を導き、メンバーは違う都市に流れて行き、曲は忘れられ、名前がただのおかしな脚注として残った。

 

 僕の両親にとって、より高度な教育というものは、遠く離れた、未知の、微かに禁じられた、勇敢な挑戦の特権の結果である世界のようだった。彼らは僕の人生を芸術と音楽と本と美の綴れ織で満たしてくれたけれど、姉との僅かなおしゃべりから離れると、僕は学校教育の正式な道に一人で助言もなしに自分自身を導かなければならなかった。カレッジからも効果的なキャリアへのたいした助言はなく、気がつけばうんざりするような教科を勉強していて、不適切な資格と共に残されていた。ただぼんやりとした芸術志向のコースの大学に志願するようになって、僕が科学と数学をAレベルでこなせることは、「都市計画」だとか呼ばれる、マンチェスターの大学に受かることになった。振り返れば、僕の都市の選択は僕が聴いていた音楽に多大なる影響を受けているのだった。僕が恋に落ちたのはザ・フォール(the Fall)の金属製の超現実世界だった。「ディス・ネーションズ・セービング・グレース(This Nation's Saving Grace)」と「ザ。ワンダフル・アンド・フライトニング・ワールド(The Wonderful And Frightening World)」のようなレコードには、ほぼ怯えさせられた。ジョイ・ディビジョンの「アンノウン・プレジャーズ(Unknown Pleasures)」の核心をかけるために僕のレコード針を摩滅させた。その間にザ・スミスの巨大な影の影響はかつてないほどに大きくなっていった。ポップの世界において彼らが築いたのは唯一無二の地点だった。熱狂的で当時は明白にメインストリームの埒外にあったけれど、メインストリームにゾクゾクするちょっとした攻撃をしかけて、彼らのファンでいることは、ピストルズの初期に興味を持つように、自分は逸脱者だと感じさせた。ある孤独な晩まで、彼らは僕の意識の周りをうろうろしていて、僕がレイディオ1のピールのレイトナイトプログラムを聴いていた時、ジョニー・マーの絶え間ない執拗なフックのかかったギターが僕の小さなトランジスター・ラジオから聞こえて、それからモリッシーの飛び交う弾丸の前の胸の高鳴る辛辣な約束が来た。そしてそれは僕のために存在していたのだった。彼らには真実特別な化学反応があり、親しみやすいけれどユニークで、僕を何年も魅了した、ガチャガチャしたうぬぼれとブラック・ユーモアの間で完璧に調和し舞っていた。人生の混乱と複雑さへの大声の讃歌は10代の僕に力強く谺し、僕がマンチェスターの寒々しいアスファルトの道をとぼとぼ歩いている時、彼らがぐっと遠くまで引っ張ってくれたと感じた。僕の都市の選択は、僕がした非常に理想主義的な決断でもあった。僕はそこでの生活はどんなだろうかとうっとりと夢想し、志を同じくするミュージシャンのプールに出会い、ボヘミアン的な創造性の痛烈な坩堝の中に身を投じることを想像した。現実世界では、僕と似ている誰かに出会うためにもがきながら、なんだか魂も連帯もない生徒のコミュニティに没していた。僕は街の鋭い脱工業化の縁を愛したけれど、生活はすぐに極めて困難になり、オーウェンズ・パーク、巨大な、禁じられた、最終的に僕が辿り着いた1960年代の集合住宅の廊下をぶらぶらしている、トーガを着た余りにも興奮したふざけ者の騒がしい一団にうんざりし出した。甲高い声を出して酔っ払った遊びに参加するために熱狂を呼び起こす意志も能力も持たずに。薄暗がりの中の僅かな光のプールは、僕が親しくなった、デイブ・マクガイルという設計家の仲間ができたことだった。彼は、ダーリントン出身の、如才なく、親しみやすく、不恰好な赤毛で同じ音楽の趣味を持っていて、似たような不機嫌な傾向があり、何かの理由で「ウィルフ」とみんなからよべれていた。ナイト・トレイン・エクスプレスと呼ばれた強化ワインをよく買って、安いギグに参加するためにオクスフォード・ロードをとぼとぼと歩いた。ザ・ウェザー・プロフェッツ(The Weather Prophets)、ザ・ボディネス(The Bodines)、といったような、全てのそのような、スミスの解散した風景を埋めるポスト・スミスのC86の一行だった。中古の裾を上げた501を着てバーに佇み、バンドがバタバタしている間、不躾に不可解に見えるよう最大限に努力しながら。