Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その60

ブレ様自伝翻訳行きます! 英語なんてふぃーりんぐっどの精神で乗り切れ! な人間が訳していることをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします.誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 ブルームズベリーの周りをフワフワしていた時間は、首都への僕の愛を再度掻き立てることになった。それは全て何年も前の幼少期から始まっていて、不規則な週末や学期休みの間、家族はヴィクトリア駅の電車に飛び乗り、そうしてサークル・ラインからサウスケンジントンに、「美術館訪問」のために乗ったのだった。ガタガタと単調な音の地下鉄の駅の、特にくすんだ、ディーゼルの臭いは、今でも僕をかすかに身震いさせ、子供の頃侘しい僕の街の籠に囚われていると感じた時、僕はよくヘイワーズ・ヒースの駅行って、プラットフォームに立ち、物ほしげに北に向かう道を見て、遥の光輝と約束の一瞥を探そうと試みた。僕が心地いいと感じるサイズ感がロンドンにはあった。名もなくいること、富、権力、可能性の感覚だ。全ての愛と毒だ、実際に。
 僕はUCLの都市計画のコースにマットと共に入った。種々様々な他の生徒のコレクションとも一緒に、フィンズベリー・パークのウィルバーフォース・ロードの巨大で壊れそうなヴィクトリア調の寮に引っ越したのだった。家賃を最小限にするために、全ての部屋はベッドでぎゅうぎゅう詰めで、カビに塗れた薄い中質繊維板の共同キッチンだけが僕らがよく集まり、立ち話をしてトーストに噛み付く場所だった。小さな見窄らしい草が散らばって生えた庭があったけれど、夏にだって誰も行ったことがなかった。そこは基本的に、古い冷蔵庫と干からびた汚れた絵と壊れた家具の絡まりでいっぱいだった。寮の唯一の熱源はガタガタのカロリー・ガスの重いオレンジのシリンダーがついた暖房で、僕らはそれを階段から上げ下ろししなければならなかった。僕はその心地よいガスの臭いを嗅ぐと、今もあの頃を思い出すのだった。マットとエードと僕の部屋は寮の真上の右にあり、だから僕らは他の亜族から切り離された小さな領土で懸命に生活し、それは寮の地政学の軍事力を突っ切って生じたのだった。僕らの下で、主寝室の中に、コリンという飛び抜けて輝くゴスと子分のダンがいて、二人ともLSEにいたのだが、何度も頻繁に気にせず階段を上がってきて、だからマットとエードと僕は、いつもクスクス笑い、マリファナの靄で朦朧とし、おしゃべりをして、リッジマウント・ガーデンで聴いた音楽を聴き、夜を共に過ごした。僕が思い出すのは、ベッドの上でコートを着たままヒーターの周りに密集し、タバコを吸いながらピスタチオの殻を割って、フェルトの「スペース・ブルース(Space Blues)」やレイモンドの「ソリッド・ステイト・ソウル(Solid State Soul)」ような音楽を聴きながら、撒き散らされたピスタチオの殻のカーペットはリノリウム材の上に広がっていたことだった。