Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その66

ブレ様自伝翻訳行きます! 全く成長と改善と努力の見られないうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 気がつけば僕らは心地いいグルーヴと共に往復運動をしていた。ハイストリート・ケンジントンからサークル・ラインに乗りユーストン・スクエアに向かい、講義に参加するためにゴウワー・ストリートを散策した。そこは僕が魅力的だと気づき始めた所だった。建築科は種々さまざな訓練で、ある時にはエミリー・ダークハイム(Emilie Durkheim)やジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)やミース・ファン・デル・ローエ(Mie's Van Der Rohe)の仕事について学んで、次は写生教室でヌードデッサンをした。ジャスティーンの遥かに優れた作品に比べ、僕のはいつもゴミだった。僕がした唯一の修練はあの長い夜の間の家で、テレビがうちに来る前に、ブランディーヌと母と一緒になって座って絵を描いて、素晴らしいアーティストである母と姉のレベルに到達しようともがくどうしようもない初心者が僕に与えられた役割だった。カレッジの後は通勤者と買い物客と共にひんやりとしたロンドンを抜けてずるずると家に帰った。喫煙しクランペットを食べて風呂に浸かって何時間も話し、フラットをてくてく歩き、猫を撫でハートフル・オブ・ホロウ(Hartful of Hollow)を聴いた。多分ジャスティーンは最初に自分は熟練のギタリストではないと否定したけれど、少しは演奏することができ、僕らは座って一緒にギターをかき鳴らし、ニール・ヤングの「孤独の旅路(Heart Of Gold)」やデヴィッド・ボウイの「レター・トゥー。ヘルミオーヌ(Letter To Hermione)」の下手くそなバージョンを大急ぎで大量に作り、インターフォンが鳴るまで続き、マットが上がってきて、紅茶を飲んでチェスをして喫煙して、会話が避け難い深夜の戯言に落ち着くまで続いた。彼女は上手にコントラプンクトを歌えたけれど、僕の古い曲、「ジャスト・ア・ガール」をやり、一応満足させられるジョーン・バエズの印象を与えた。僕は他に「ジャスティス(Justice)」という、アズテック・カメラの「オブリビアス(Oblivious)」に多大なる恩義のある曲を書き、マットの古いフェンダージャズ・ベースを轟かせながら一緒にプレイした。それはメロディーとリズムの基本を掴んだもので、曲のように聴こえる何かの始まりで、僕らはちゃんとしたデモを録音しようと決めて、ブライトンの安いスタジオで短い時間のセッションを予約した。シンプルなボーカル、エレクトリックギター、ベース、ドラムマシーンのレコーディングははっきりと僕らを勇気づけ、僕らは自分達に「ザ・パーフェクト(The Perfect)」と名前をつけ、「サムバディーズ・ドーター(Somebody's Daughter)」と「ヴァニティー(Vanity)」といったタイトルのもっと優しいライラック・タイム(イギリスのバンド)スタイルの熟考を推し進めた。僕らはデモのスリーブも作ったーージャスティーンがフラットで撮った神秘的でぼんやりとした僕の写真だったーーそれをコピーして、ベーシックフォントで書かれたバンドの名前を入れた自家製のカセットシングルに使った。そして期待を持って影響力があると見間違えた人たちの手に押し付けたのだった。ささやかで当たり障りのない感想が返ってきて、僕らは自分達の結物をマイナーな傑作と解釈したが、実際は鋭さも深さも洞察も実際に確かな音楽性にも欠け、その欠点は必然的に魅力の欠如になった。弾みのついた原動力なしに、僕らの大志は消え始め、生々しく厳しい現実の前に粉々になったのだった。