Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その70

ブレ様自伝翻訳行きます! 改善する気など毛頭ない素人翻訳です! それをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 母の死後のあの黒炭の朝の間に僕がいたかった場所があるとしたらそれはホートン・ストリートの寝室だった。轟々と音を立てて進む車の音から離れた家の奥の美しい部屋、ローマ風の日除けで遮光された大きな見晴らし窓の下の庭園に面した。もっと幸せだったジャスティーンとの時間、セント・メアリー・アボッツ教会の鐘の響きを聴きながら一緒に寝そべり、ようやく暗闇から脱し、角のカフェのコーヒーを飲む日にも慣らし、それかチャニストン・ガーデンのマフィン・マン、滑稽で古風なイングリッシュティーの店で僕らは座ってアールグレイを啜り、尊大に髪を整えた金持ちそうな未亡人とその馬鹿げた小型犬を見つめ過ぎないように務めた。

 ゆっくりとだが僕はボロボロながらも正常性を取り戻そうとし、悲嘆の霧が晴れ始めるに従って、再び音楽を聴けるようになった。僕が見窄らしい自家製の子供時代の世界から学んだ最も価値あるレッスンの一つは、何か欲しかったら自分で作ればいい、ということだった。それがどういうことなのかはっきりと知らなかったとしても、僕が聴きたかった種類の音楽はそこから出ていないようだったので、段々僕は鬱屈とした気分になり始めた。ある秋の晩、ジャスティーンとマットと僕はトップ・オブ・ザ・ポップス(Top of the Pops)を観ていた。覚えているのは、滑稽で陳腐なグラム・メタルのミュージシャンが義務的に彼らの気取った男根主義的なレパートリーを披露しているのを見たのと、それがいかにクソであるかと思い、「僕らはこんなのより上手くできるはずだ」というようなことを言ったということだった。全ての地震のような人生からの推進力が僕が経験している心地よい繭から僕を振り落としたに違いなく、僕を「今日を楽しめ(carpe died)」という感覚で満たし、NMEにギタリストを募集する広告をうつことを僕らは決めたのだった。