Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その74

ブレ様自伝翻訳行きます! どんどん文章が下達していくうんこ翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 けれど、多くの袋小路と間違った解釈と道があった。時として自分が行きたくない場所を探すことは自分が本当に行きたい場所を探すのと同じくらい重要で、ホールマークカードの裏側に書かれているようなことにならないように祈りながら、結局自分を成功と同じく決定づける失敗と欠陥に打ち勝つのだが、最終的にその欠点はひどく魅力的なのだ。誰もの子供時代が少し恥ずかしい物であるのと同じで、誰しもの音楽の最初の一突きについてもそうだ。喜んで僕は座って、僕らの作品は完璧に形作られ、乱暴に躍動し、断固として華麗に雄弁であると書きたいが、単純にそれは真実ではないだろう。貧弱で不恰好な模倣の歌と見窄らしい恥ずべき詳細は、話の大半がそうであるのだけれど、同様に僕は奇妙にそれらを誇らしく思うのだ。他のバンドと彼らの上部の堅固で統制された上昇する梯子を見ると、なぜだか彼らは何かを取りこぼしていると感じたーもがきと、全てに重みを与える完成された結果と同じくらいの価値のある不完全さだ。数年が過ぎると、機械が上手く作動するように、より洗練され、チェックリストの列とメディアの画期的事件を通じたありふれたバンドを数多く量産するようになる。その定型は一九九〇年に設立されることから離れて、勝手に微調整されて、僕らは一種のアイデンティティーを探し求めた。

 恐らく他より安かったから僕らはロンドン大学のベニューのギグによく行っていたーロンドン・ユニオン大学(University of London Union)やクイーン・メリー・カレッジのような場所ー僕らはプラスチックカップに入ったビールをちびちびやって、今となっては忘れられた、ファイブ・サーティー(Five Thiety)やザット・ペトロール・エモーション(That Petrol Emotion)といったような重要でないバンド見ていて、芸術的な霊感ではなく、ドライアイスと金切り声の情報と押し潰される肉体と騒音の快感にただ浸るためだった。ある晩、トリと前座の間に、バーナードとジャスティーンと僕は階段でタバコを吸って座っていた。ステージが近づいていてバンドの名前を探していて、正直に名前の由来を憶えていないのだが、二人を見て「スエードはどうだ?」と言ったのは覚えている。