Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その77

ブレ様自伝翻訳行きます! 英語でそのまま読むよりはマシだよね、程度のクソ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕らはプレマイセズというハックニーロードにあるボロくて古い小さな住宅のリハーサルルームでよくリハーサルをした。まだそこにあると思う。隙間風が吹き、見窄らしく、当然騒がしいがなんだか居心地が良かった。甘い紅茶と石油ストーブと汗と紫煙の澱んだ匂いと、契約をしていない千のバンドのタバコの吸い殻があった。東ロンドンが2、3階下のフロアでぶつぶつと呟き金切り声をあげ、僕らは夜遅くまでクタクタになるまで頑張った。ある時、素敵なハリーおじさんから少しの金を受け継いだ後、僕はリッケンバッカーの美しい六弦を買い、バーナードが彼のエピフォンのフレットの周りを跳びドラムマシーンがパタパタと行く頃、ジャスティーンはそれをかき鳴らした。マットは彼の古いフェンダーのベースを轟かせ、タバコ休憩に時折、僕がどうステージに登るつもりなのか彼に示すように要求したり、冗談めかして偽のインタビュー行ったりした。マットは間違いなく人がそれまでに出会うであろう人間の中で最も賢く鋭敏な人間だ。マットには、殆どの人間がついていくのに数週間かかる即興の愉快な名言を言う能力があった。今日では、彼も歳を取り優しく幸福な男になり、彼の鋭い辛口のウィットは今でも面白いが、もっと若い頃はこの無慈悲な嘲りは時として厳しくイライラさせた。幸運なことに、ずっと一緒に過ごしてどうやって打ち負かせるか分かり、僕は鼻にかかる河口域英語でゆっくりと聞き取れないことをぶつぶつとよく呟いて、紅茶を淹れるために脱線した。けれども、かなり早い時期からの既存のヒエラルキーが一旦解体されると、バーナードが進行のリーダーシップを取り、僕が歌詞とメロディーを結合させようと試みた新しいピースと共にコンスタントにリハーサルに現れた。かなり初期の僕らがいまだ未熟で愛されていない時期でさえ、彼の勤勉さには鼓舞された。それが何年も過ぎても僕が本当に彼に敬服する多くのことの一つだった。その呵責のない止まることを知らない熱意、その創造する使命を。ゆっくりと、バーナードは僕らといてくつろぐようになったと思う。僕らの近しい原動力は最初は恐ろしく感じられたに違いなく、勿論、ジャスティーンとは全く違った背景を持っていたし、そう思っていたら皆そうだったのだ。彼はいつも僕らからは一歩引いていて、けれども、僕はそこに即席の感情移入というよりはむしろ、交わることを学びながら僕らを信頼し始めたのだと感じた。諍いの種は、実際にとうとう発芽し僕らを引き裂く何年も前に僕らの中にまかれていたのだろうけれど、その時は、僕らの違いを覆い隠し勇敢に推し進め、微かな違和感も抑制することを学んだ。だが一方で僕らの残りは何についても全てに於いても口をつぐむようになり、バーナードはより内省的に苛烈になった。最も寡黙な人間が最も姦しい心を持っていると言われ、彼が物事を内在化させ、その時僕が彼と交わした会話を通じてよりも、書いていた音楽を通じてそれを表現しているという印象を持った。けれど誰に分かるというのだろう? 僕らはただただお互いを理解し始めて、心の絆が繋がれた期間はまだ一年かそこらだったのだ。