Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その80

ブレ様自伝翻訳行きます! 訳した先から自分の翻訳忘れてる鳥頭の翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 だから僕らの空いた時間は菓子屋に入ろうとする死ぬほど退屈な経験で充満した。バーナードと僕は切手を舐め黄色いジフィバッグ(保護クッション入りの封筒)にデモテープを入れて、常に「退席中」のレコード会社と低レベルなプロモーターとベニューの支配人の同意を得ることに全ての午後を費やした。電話は取られずドアは眼前で締められた。そして僕らが考えたのは僕らの絶望的で陰鬱な十字軍の餌として、ジャスティーンの明白な魅力を使うことだった。2、3回彼女はイースト・ウェストやクリサリズ・レコードのような場所にレザーのスカートを着て行き、違いが出るかもしれない誰かの手にカセットの一つを押し付けようと試みた。今となっては酷いことなのだが、少しも下劣ではなかった。僕らみんな、彼女の見た目と魅力は、貧弱で痩せっぽちの見た目の僕らより、きっと注意を引くだろうとただ思ったからだ。けれどレコード会社は決して電話をしてこなかったし、ありがたいことにそうされなかった。僕らは必死に向上する必要に迫られた。

 けれども、推し進め押し退けて辛抱した後、僕らの曲の「ワンダフル、サムタイムズ」がGLRのある日曜の午後のゲイリー・クロウリーのデモ・クラッシュに取り上げられることに成功した。それは番組の一企画で、ゲイリーが二つの未契約のバンドの曲を連続して流し、聴衆がいい曲に投票し、勝者は次の週のコンテストに進めた。勿論、現実には全てのこの現象はそれぞれのバンドの多くの友人が電話を入れて悩ませる勇気を奮い、僕らの極めて多い知り合いのお陰で最終的に2、3週勝ち残れたのだった。このことから起こった小さな注目の波は、メロディー・メーカーの記者をギグのレビューのためにブル・アンド・ゲートに来させる事態を起こすのだが、それは僕らには時期尚早で、続いて起こった悪意のある意地の悪い批評はひどく突き刺さった。僕らは子供のテレビ番組のプレゼンテーターになぞらえられいて、もしこれらのショウの初期の写真を見たことがあるのなら、解説は筋が通っていなくはないだろう。僕らがオシャレだと思っていた無様なストライプのポスト・マンチェスターのデイグローのTシャツとルーズジーンズを陽気に身につけ、僕らは皆カリスマで威厳あるトイレットペーパーホルダーだった。それが僕らの初めての苦く厳しい公の譴責だったが、僕はきっとそれは最終的に僕らを向上させる出来事のタペストリーの一部だったのではないかと思う。そしてそうされなければいけないのは神のみぞ知る、だ。九〇年代の初めにおいてさえ、「キャリア」という言葉は音楽について語る時に気軽に触れられるものではなく、僕らの足掻きは茫洋とした気まぐれ以上だという強い感覚があった。デジタル化が進む前の時代、面白く枠外の音楽を制作することとテーブルに食事を齎すことは同時に成立すると期待することは完璧に可能なように思われた。今日、僕は比較的成功し創造的で刺激的なオルタナティバンドーー経験豊かなプロフェッショナルで勤勉な組織のーーを知っているが、そのメンバーはアルバイトで収入を得なければならない。音楽の将来の創造性への含蓄は、実際暗いものだ。