Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その85

ブレ様自伝翻訳行きます! 反省もなにもしない人間が書いたうんこ翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 サイモンの僕らと初めてのギグはたしかロック・ガーデンだった。そこは「定額制(pay-to-play)」のベニューの一つで、そこでは絶望的な若いバンドが薄い緑青の展示を自分に提供するために自分自身のパフォーマンスに渋々金を払うために利用されていた。ショウの全体を覚えてはいない。オーディエンスにいつもの変わり映えのしない無関心さで肩をすくめられたと推測しているが、それは僕らには、僕らは今ようやくどこかに向かって進んでいると感じられた。僕ら自身の、だ。

 ところで、ULUでサイモンと働いていたリッキーは、リッキー・ジャーヴェイスだった。その時の彼に関して僕があまり情報を持っていないことを聞いたら残念に思うだろう。サイモンは実際にそういった古い苦労話の最良の源だった。きっと僕は僕ら両方が成功を収めるかねてより前以来もっと会っていて、そして彼はいつでも寛大で余りにも魅力的で勿論ひょうきんで、彼が僕が「決して太ったことがない」ことを喜んでくれているとしばしば言っている。90年代初頭の暗黒期に僕らの道が交わった唯一の時は彼のバンドのサポートをしている時でーーサン・オブ・ブリーパー(Son Of Bleeper)ーー出席の乏しい大学でだった。振り返れば真実渋面を誘発する歌のデイビッド・ブラントのつまらないバージョンを思わせたと僕が言うことは不公平だと彼が思わないであろうことを望んでいる。ある特定の抑えた歌詞は何年も僕の耳につかえた。「ジョニーがやりたいのは彼のギターにブルースを歌わせることだ」というような言葉は、嗄れた、ネオアメリカンの、ブルー・カラーの、バーの声で歌われた。リッキーが彼の天賦を開花させた瞬間は彼が利用できる最も豊かな喜劇の源は本当は彼なのだと気づいた時だと思う。