Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その90

ブレ様自伝翻訳行きます! 雰囲気で読み雰囲気で訳している雰囲気翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 フラットには常に、付き纏ったり招待し返したりしてぶら下がっている奇妙な人物の動物園があった。オーストラリアの漂流者や二〇代のスウェーデン人の乳母や微かに傷ついた脆い住人が、道のどん詰まりの公営住宅のフラットにいた。夜遅くに「ビューレイ・ブラザーズ(The Bewlay Brothers)(訳者註・デヴィッド・ボウイの歌)」を聴きながら、座ってタバコを吸って話して、時折僕は古いアリア・エレコードを持ち出して、彼らを座らせて、「ザッツ・エンターテイメント(That's Entertaiment)(訳者註・ザ・ジャムの歌)」や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ(A Day In The Life)(訳者註・ビートルズの歌)」を演奏した。僕らの友人、タムジン・ドリュー、偶然にもオートホールに通った、フラットの側をヴィクトリア朝の亡霊のようにふわふわ漂ってよく座って、猫に話しかけたり、彼女の美しい、シュールレアリズムの絵で僕らを素描したりした。またローリーという友人は、人生に出来うる限りの多大なLSDを持ち込んでいた優しいヒッピーで、裸足で目をギラギラさせて物語と驚くべき理論で縁までいっぱいになってよく僕らを訪れた。それはかなり柔和で無邪気で甘美で明るく錯乱した狂気で、皆が帰り冷たい夜が再び僕を包むまで、別りと死別の対をなす苦痛を和らげるのを助けた。
 ムーアハウス・ロードのフラットはある意味でデビュー・アルバムの構成の重要な要素になった。全ては壊れて手垢のついた使い古しで、だが神秘的で魅力的で、ゆっくりと、褪色した優美と厳しく硬直した貧さの熱狂的な二重性は、僕が作曲しようとしていることとバンドを形作るビジョンに染み込み始めた。それは僕らの外世界の小宇宙となり、初期の曲に着想を与えたしつこくけばけばしい事件の、見窄らしくも素晴らしい舞台は演奏された。全ての奇妙な酩酊した品評会とありそうもない瞬間、時計のゆっくりとした動きを眺める静かな死んだ目の時間。それら全ては僕が書こうとしていることに流れ込み、後にプレスが理解するアルバムやバンドと同じくらい重要になった。これらの巨大な個人的な影響がメディアの注目からほぼ常に逃れていることはおかしく、理解できることではあっても、彼らは関係性の天体の埒外にいるのだ。けれど重要なことは、僕がかつて生活した、僕の友達や恋人や街やストリートやフラットは、全てのロック・ムーブメントとして僕の曲に影響を与えていることを理解することだ。