Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その94

ブレ様自伝の翻訳行きます! 全く音楽の知識もない人間がなんとなくで訳しているゴミ翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕は「トゥー・ザ・バーズ」の輪を成し疾走する、ほぼフィリップ・グラスのようなギターとベースのイントロ、そして上下して堆いコーダとなる様を愛している。それは一種の「アイ・ウィル・サヴァイブ(I Will Survive)(訳者註・グロリア・ゲイナーの曲)」のモチーフの喪失と孤独の克服の歌で、破局の背景が過剰な装置となっていて、僕は、鳩だけが聴衆となってバルコニーにいる捨てられた吟遊詩人としてメロドラマ的に配役されている。「バーズ(birds)」という言葉の口語的な言外の意味は僕に起こった喪失ではなく、けれど、僕は意味が投げかける陰を弄ぶことがずっと大好きだった。僕にとって歌の大量の生き血は、ガラスの下の標本、塵埃まみれの標本箱の蝶のようにただ死んでいるのではなしに、主観的な解釈についてだ。座ってこれらの曲の記憶を共有することの矛盾について僕は気づいているけれど、僕自身の解釈も絶対的ではなく、単なる出発点に過ぎない。これは僕の初期の非難に矛盾して聞こえるかもしれないが、それは正しい精神の中に意図され、僕の気に入りのことの一つは他人の読み取りを聞くことだ。それがゴシップめいていたり絶対主義者でない限り、それは愉快で創造的で音楽に息吹を与え、それを否定する充分な資格が僕にあるとは決して感じない。
 奇妙なことは、僕らがこれらの新曲を書いている一方で、ジャスティーンはまだバンドにいて僕らとそれをパフォーマンスをしていたことだった。それを一種の捻くれた勝利とするべきだったが、そうではなかった。全ての状況は急激に耐え切れない様相を帯び、増幅する興奮と明白な緊張感の奇妙に混合し、惨めさに気付きながら、創造性のスリルの均衡を取り戻そうとし、ごちゃまぜになった陳腐さはいまだ作用していた。僕らがいまだ一握りの無関心な人間の前での憂鬱なパブのギグを彼女としていた六ヶ月の期間があった。違いは、反応がそうでなくてさえも、素材が今や火がつきそうになっていたことだった。しばしば観客より多い人数がステージにいた。ニュー・クロスのアマーシャム・アームズの特別なショウは一人の人間の前で披露された。サイモンの従兄弟のポールだ。振り返ればその時点でのセットが鼻にかかる「ザ・ドラウナーズ」「トゥー・ザ・バーズ」「ヒーズ・デッド」「ムービング」だったのは滑稽に見える。どんなA&Rの人間も僕らに訪れなかったし、僕らがクソで見逃されていた時に僕らを観にこなかった人たちは、きっと新しいライド(Ride)やチャプターハウス(Chapterhouse)を探していて、僕らの急上昇する劇的な尖ったエネルギーが流行りと心地よく坐していることが分からなかったのだ。僕らはロッキング・ホースというイースト・ロンドンの安いスタジオでデモを作った。「ザ・ドラウナーズ」と「ヒーズ・デッド」と「ムービング」と「トゥー・ザ・バーズ」の簡素でエキサイティングなバージョンだった。一年かそこらの後に、同じ音楽会社が同じ曲に花で飾られた豪奢な喝采と共に反応するだろうが、その時は同様に無関心に肩をすくめ、新しいスロウダイブ(Slowdive)へと足を向けた。僕らがフラストレーションでイライラしていたこの時でさえ、僕らの自信は火打ち石のように硬い決心によって固められ、いつの日か、いつの日かその瞬間が来ることを知りながら、歯軋りしていた。
 どんどん叩かれるジャスティーンのリズムギターと共に新しい曲のクラッチを演奏するのは急激に間違った方向に行った。彼女の前の男がフロントを務めるバンドにいることに関連づいた明らかな緊張感から離れて、彼女もどんどん意見を持つようになり、僕らは芸術的にどんな方向に向かっているのかということへの疑問でムズムズし、彼女と残りの人間と本当の摩擦と分裂を作り上げた。彼女はもっとパンチの効いたパンクな音を好んで、「トゥー・ザ・バーズ」と「パントマイム・ホース」と他の全てのより壮大で勇壮な素材を嫌うようになり、幾分バンドに違う意見を持っただけではなく、僕が思うに、彼女がそれらに苦く辛辣な彼女への一突きがあると感じとったからだろう。そして緊張感は高まった。それはある晩のリハーサルの後の激しいやり取りで頂点に達し、彼女はその曲が好きではないと僕に言い、僕は「パントマイム・ホース」と「トゥー・ザ・バーズ」こそ僕が書きたかった曲だし、それが好きじゃないなら君は間違ったバンドにいると返した。二、三日後、別な空虚な愛されないショウが終わりーこの時はマレット・ストリートのUCLだったー、彼女はやっともう十分だと決め、彼女のリッケンバッカールノーの後部に置き、最終的に夜に消えて行った。新しい人生へと発進し、何年もの僕の人生から去って。