Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その96

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 違った風に考えた人をがっかりさせて申し訳ないのだけれど、僕は、僕らのどんな「同時代」の他のバンドに特に親しい感情を持ったことはない。人々がその一〇年間を振り返る時、陽気な小さな派閥のカムデンハイストリートを気持ちよくスキップしている僕らを想像すると予測するが、十年間の後半を定義づける醜いビール臭い漫画に僕らは決して与しなかった。そしてそのことを神に感謝する。僕らの不在はどんなエリート層からの不在だと僕は見る。素晴らしい、物事からの解放として。けれど初期の状態において、僕らが自分自身への在り方の感覚について感じていたのは、僕らは完全に孤独だという気持ちだった。ナタとヘルメット帽で森の中を道を切り開きながら探索するような。僕らが言葉と音楽とスタイルの中に発展させていた「英国人気質」の感覚は、もうちょっとでこけそうだと感じるぞくぞくする何かで、そのように勇敢で未熟な感覚で、美しく足を踏み外した。明らかに、僕らには過去からの行いの前進のインクの裏抜けで、だが1991年には、それが後に彼らのものだったと主張しようとした他の全てのバンドが未だ惨めなシューゲイザーとバギーの混沌に囚われていた頃、それは全く僕らのもので、僕らだけだったと感じた。しかし、僕が作曲でやろうとしていたことと、そいつらが後にやろうとしたことの間には巨大な違いがあった。僕は決して英国人気質を祝福しなかったー記録したのだ。重要な点は僕が自分の周りに見た世界と英国にまさに起こった世界の反射だ。陽気な好戦的愛国主義者とは全く関係ない低俗な失敗した世界で、率直なお高くとまった解釈がついてくる。多くの曲の歌詞が単なる、僕が「ロックの語り(rock speak)」と呼ぶ、ジミ・ヘンドリックスとジム・モリソンとその他から借用された決まり文句、意味のないくどくどと語られる、「誰かさんの魂を盛り上げる」等々であることにいつも不満を抱いていた。僕の世界の僕のアクセントの僕自身の声と歌を使いたくて、それは壊れた単調なだらしのない奇妙なものだったけれども、恩寵と詩の感覚に結びつけようと努めた。その一〇年間を振り返ると、最終的に僕らを裏切る1990年と1991年の汚いイーストロンドンのリハーサルルームで僕らが生み出したものは、財布から金をくすねようとしているのを母親に見つかった子供のように、僕らは決して再び同じようには見られないのだった。
 この時における他の重要なことは、サイモンがカミングアウトしたことだ。彼が静かにそれを公に口にしたのは僕らがリハーサルの後に飲んでいる間で、痛ましいことに最初僕は彼の言っていることが聞き取れず、その晩、後になってアランが僕に指摘しなければならなかった。僕はいつだってサイモンの静かな威厳とシャイさと、彼をより立派に見せる知らせを僕らがどう受け取るのかという思慮に憧れてきた。それを言われるや否や、僕は彼をよんで、何に対してもほんの僅かな違いもないと彼を安心させた。どうしてか? けれど、リベラルな九十年代においてさえ、ホモフォビアの醜い種子はいまだ実り、きっと歌詞が彼の中に流れ込み始めていたという事実にも関わらず、彼は心配だったのだろう、そしてきっと、辺境と虐待の記録をしている一員であると希望を持って感じ始めていたのだろう。おそらくこれはそれら受容の縁に発言権を与えようとする僕の試みで、ある意味で僕が自分の立場を表明することだった。包括的なアプローチとして意図されたそれが後に「偽物」「日和見主義」と見られたことは悲しいことだが、僕が学んだことは、曖昧な考えをとることがほぼ不可能な問題があるということだ。