Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その99

ブレ様自伝翻訳行きます! ど素人が無駄な情熱と根性のみで書いたウンコ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 ほぼ気づかれないほどに物事は動いていたから、ニュー・クロスのショーの僕らの存在によって蒔かれた慎み深い流言の種子はロンドンの音楽業界の流行仕掛け人の間に静かな漣を立てていたに違いない。惑星は一直線に並び始め、人々は囁き出し、ようやく、ようやく頭を向けられ始めた。ギアチェンジが、前まではひどく遠かった最初のゾクゾクする成功の息吹の先触れとなってほらやって来た。それにピッタリはまらないことにずっとイライラしたし、僕らを通り過ぎたり無視したりしていた人たちにようやく僕らの強さに気づかせ、完璧に僕ら独自のものを、特別なものを、無二のものをやっているという本当の感覚があった。革新の衝撃とともに、新鮮な未知のチリチリと鳴る鈴の音の。かつて人々の興味を逸らした明白な英国人気質と奇特な現実主義と手探りのだらしのないセクシュアリティーは、今や際立ったスタイルと自信をもたらし、素晴らしく道徳感に逆らい、ゾクゾクするほどエキサイティングだった。僕はずっとバンドには独自の宇宙、「スエード・ワールド」に住んで欲しくて、演者と作曲家としてのスキルが発展するとこの世界は共鳴し人々に語りかけ始め、彼らにその姿を明らかにした。そして作曲が貪欲なよろめくトーンを包摂し始めると、並行してバンドとしての僕らは自意識を捨て、歯軋りをして攻撃的に根源的になり、自分たちを扇情的に見せ、僕たちの作る音楽に計りしれない情熱を感じていた。サイモンの力強い怒れるドラムとバーナードとマットのますます抑制の効かなくなった演奏は、曲の暗い心を解放するドンドンというモーターになった。そして突如として観客の中に僕らの知らない人間が現れた。僕らを探し求める、衝撃的なことに特権に実際にお金を払ってくれた人々だ。僕の前の恐怖のD型の空間は、汗に塗れた、人型の、不思議に馴染みのない、冷たく湿った熱意と好奇心で満たされた。次第にそれは熱を帯び、この時点でおそらく本格的な「スエード・マニア」を得ていなかったにも関わらず、またしてもライドンの卓越した言葉を借用するのだが、彼らはおそらく、きっと、「愛情を込めて僕を引き裂く」、という感覚が静かにあった。僕らはカムデンのアンダーワールドで他のショウをして、次の火曜日、トッテンハム・コート・ロードの地下鉄の駅に、僕らを「歯を剥き出して獲物を探しているロック・ビースト」と表現している、インクで書かれた、メロディー・メーカーから突然現れた輝くレビューを買うために出向いた。それは素晴らしいティッピング・ポイント(少しずつの変化が急激な変化に変わる転換点)が到達したように見えた。僕らの次のショウはいまだにファルコンだったが、僕らが十二月に耐えた残酷なパントマイムからは大差があった。この時の観客の中の明白な武者震いと興奮した囁きは、モリッシーとサッグス(Suggs、グラハム・マクファーソンというシンガーソングライターのステージ名)とカースティ・マッコール(Kirsty MacColl、イギリスのいくつかのヒットを飛ばした女性シンガーソングライター)が僕らを観に来たというだけではなく、僕らがようやく人々が望む何者かになれたということでもあった。ジョン・マルヴィーの息もつかせぬ興奮しやすい批評がNMEに載った次の週はメディアに承認された最初の真実の味わいがあり、何年も味わった無関心と冷淡さへのもがきの後のそれは、とても、とても甘美だった。これを人々は欲し始め、急激に羽蟻のように塊となって群れ、美辞麗句で連ねた束の間の猶予を許されるならば、何か特別なもののように見えた。それは僕らの、僕らだけのもので、ー僕らの見窄らしい讃美歌とフラストレーションの叫びー誤りと喪失の詩と、僕らの前に見えた低俗で冷淡なイギリスへの讃歌だった。そして僕らはみっともない月並みな時代をスタイルとともに突き刺し蹴り飛ばし、魂と力がついに扉をこじ開けると、そこには十年間を定める音楽の創設が横たわっていたのだった。