Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その18

ブレ様自伝翻訳行きます!相変わらず直訳ですが、それをご了承の上お読みください。原典読まれて、知識がある方がいらっしゃいましたら、ご協力お願いします。明らかな間違いがありましたら、ご指摘お願いします。

 

 小さな文学の種が僕に埋められたに違いない。だから、僕は70年代の終わりから日記を付け始めた。今まで完璧に忘れ去られていたのだが、それらは長年の間段ボール箱の中にいて、その瞬間を静かに待ちながら、家から家へ無言で僕に付いてきていたのだった。残念ながら、その瞬間はやってきたが劇的ではなかった。僕がこの本を書くことになった時、僕が日記に期待したのは僕の少年時代を素っ裸にすることだったが、それに適わなかったからだ。悲しいことに、それらは、天気と買い物とただのだるいつまらない話だった。学校の授業の単調な時間割と試験の結果は、あらゆる自己洞察や心理描写に欠け、面白いものは他になかった。人工地震が起こったような時でさえ、僕はそれを派手に喧伝するように思われるだろうが、サッカーの試合の結果や僕たちが何を夕食にしたかに熱狂することを好んだ。なんとまあ、「ひどくつまらない若者」だったのだろうか。結局、モリッシーは正しかったようだ。僕が思うに、僕は感情の深さや俯瞰で見る感覚といったようなものを得る必要があったのだろう。僕の両親の複雑な結婚模様のようなテーマは「パパとママが口ゲンカした」という短い文章で表され、僕が近視眼的で自己中心的な子供だということは明らかだった。思うに、母は僕を温かく心地好い妄想の毛布で包み続けていたのだ。僕らの脆い世界が位置していた上では、地層がずれて揺れているという恐怖を明らかにする勇気は全くなかった。思春期になっても、僕は意味があり正直な会話を母ととした覚えはなかった。母はテレビ番組や本を通じたお喋りでコミュニケーションするか、母と息子がよく使う、優しい原始的な周波数を通じてすることを好んだ。