Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その21

ブレ様自伝翻訳行きます! 相変わらず、直訳で読んですぐ訳してるから文体の統一できてません。それをご了承の上お読みください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所がありましたらご指摘お願いします。

 

父の姉妹のジェーンおばさん、彼女は快活で騒々しい女性で、猫とエルヴィス・プレスリーに夢中だった。ヘイワーズ・ヒースを、脱色した金髪で1960年代に流行った蜂の巣型の巨大な髪型を揺らしながら、ハイヒールとミニスカートでコツコツと音をさせてよちよち歩いていた。彼女はドロシーパーキンスの地方支店の支配人で、夫と住んでいた。彼は優しくて大人しく、ヴィックという名前だった。サウス・ロードの店の上にあるフラットに、急に増えた子供たちと、キンキーという白い長毛の猫と、エンジェルフィッシュでいっぱいの大きな派手に装飾された水槽と生活していた。僕が覚えているのは、彼女はよくベビーチャムの小さな70年代の瓶から飲んでいたことだった。母は一度、蛇の形から抜け出そうとしいる紫色の彼女の線画を書いたことがある。彼女の人生が1980年にほぼ古典的スケールの悲劇で終わったにも関わらず、僕にとって彼女はぼんやりとした淡い記憶でしかなかった。彼女は車の中で男と死んでいるのを見つかった。二人が一酸化炭素中毒で死亡した後に、その男は彼女の愛人と見做されたのだった。子供にとって、その時点で戯言や憶測を漏れ聞くのは、ゴシップや噂話を言いふらす奴が不十分な事実からあれやこれやと詮索し考えを巡らしている中、僕にとってそれは事故だったのか心中だったのか殺人でさえあったのかさえ不明瞭だった。検視官が「不運な出来事」とはっきりとしない結果を返したのは、火に油を注ぎ、噂は恐ろしい勢いで僕らの眠れる街を焼き尽くすことになったのだ。当然そのドラマは家族の心を大きく占め、残された子供と夫には胸のつぶれるような悲劇だった。10年後、「シーズ・ノット・デッド」というよく書けた僕の歌の霊感となった。多分、胸が張り裂けるような出来事の高く洗練されたスケッチに色を添えるために借用しようとしたのだった。オリジナルの詩は「エンジンが回っている間一酸化炭素が歌った」で、正直な話どうして僕がそのままにしなかったのか分からない。今となっては奇妙に見えるけれど、冷たいのではなくて、僕がどうやって辛い個人的な出来事を歌の中に向け直すのか、僕はここに座って話すことができる。僕の一部が感じるのはそれはいくらか恥ずべき、どうでもいいことだということだ。僕は自分が決して誰かの思い出を軽視していないと願うし、僕が理解するのが肝要だと思うのは、一般的に芸術というのは、単なる、誰かの経験を描写し解釈しそこに繋げ、現実を超えた場所に生きる何かへと変える過程だということだ。自己弁護すると、少なくとも曲はいい歌で、上っ面のものでないのならば、曲の中の人物が威厳と優雅さを備えていればと思う。うん、それが正直な気持ちだ。