Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その26

ブレ様自伝翻訳行きます! 相変わらず全然推敲していないので、文体の統一もできていません! それをご了承の上でお読みください。原典読まれた方で、明らかにおかしい箇所ありましたら、ご指摘お願いします。

 

 僕はボンテージのズボンを決して買わなかったし、髪も染めなかったけれど、かなり早い時期からパンクロックに夢中になった。父のクラシックへの執着は、どういう訳か癪に触り、挑発的で、排他的に思われ、時代遅れの衰えた過ぎた時代の存在に変わる新しく付け加えられた感覚と共に、僕をパンクのむき出しでプリミティブで生き生きとした活力を抱き込むことに導いたのだった。これが僕の人生の表現で、僕の周りに見える世界だった。道の上の白い犬のクソ、破壊された小便の染み付いた電話ボックス、恒常的な脅しと恐怖のガス。それがどうにかして、その真実の描写を通じて、独特の、等しく価値のある高潔さを含んでいるのだった。ネバー・マインド・ザ・ボロックスは、僕は今でも誇りを持って言うのは、僕が初めて買ったアルバムで、生涯に渡るオルタナティブ・ミュージックへの愛情への先触れだったということだった。僕は雑用や新聞配達をして苦労して金をかき集め、それを買うためにヘイワーズヒースのある日曜の市に歩いて行った。僕はご褒美と共に小走りで家に帰り、それは僕のレコードプレーヤーのターンテーブルに、不敗のチャンピオンのように、半永久的に何ヶ月も鎮座することになった。もちろん、圏外の田舎に住んでいると、ロンドンで流行って廃れた、本当に何年も後のトレンドとファッションを取り込むことになる。だから、ピストルズの活動の軌跡は、遠く離れた星からの光線のごとく、僕がレコードを買った頃には既に過ぎてしまっていたのだった。それでも、それは本当に本当に生き生きとしていて、僕はそのグルーヴに夢中になり、その美しい暴動の全ての瞬間を学んだ。僕は今日でも「Bodies(邦題・お前は売女)」を、よくイントロとして使う。その扇状的なプリミティブな叫びは、僕が自分の寝室のそこに座って、ニュートン・ロードの戦いを見つめていたずっと何年も前に僕の中に造られた物と、パブロフの犬の条件反射のように同じ物を造るのに失敗しない。そこから僕はもっと同時代の音楽を聴き始めた。80年第初頭のポストパンクは、クラスとディスチャージのようなバンドの墓場だった。パンクの絶えない無秩序を政治化した音楽だった。僕は父が階下で爆音でエニグマ変奏曲をかけている間、僕は上の階で、クラスのザ・フィーディング・オブ・ザ・5000を僕の安っぽい音楽の機械が許す限り大きな音で聴いていた。家のどこかに立てば、奇妙なブライン・イーノ風の混成を体験できるだろう。クラスに僕は魅了された。ジー・ヴォーシュの悪夢的で超現実的で高く政治的なレコードジャケットは、なぜか、美しくも脅迫的でもあり、時を超えて上品でもあり渋くもあり、脅しと共に適切な緊張感があった。彼らの音楽が扱っている種類のテーマは、僕が以前考えていたのは、ポンと弾き出される異星人だった。闘争、DV、宗教、教化。そして、どこにでも、忙しない、探るような、異議を唱える声がして、社会的にもっと多くのことに意義を唱え批判し、政治的に音楽を構成する方法を確立していた。それらが45回転で聴かれることを想定されていることを知らずに、僕はいつも回転数を33回にしてアルバムを聴いていた。僕はスピードの落ちた、内容はそのままに思えた、悪魔のような遠吠えに夢中になった。けれど、ある日、誰かにそれは違うと言われ、想定されたスピードで初めて聞くと、どうしてか魔法は消えてしまった。