Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その88

ブレ様自伝翻訳行きます! 脳の棚が腐っている人間が訳したゲロ翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕が移り住んだのは、ノッティングヒルとベースウォーターの間、今不動産業者がアルテシアン・ビレッジと呼ぶ、次の25年間僕が暮らすロンドンの一部で、小さな孤立した土地のムーアハウス・ロードの、壊れそうな、前部分が漆喰の、2階のフラットだった。今のその地域は派手で豪華で富裕で、金と特権の静かな囁きの連なりだ。九〇年代初頭、ヒュー・グラントジュリア・ロバーツに好転させられる何年も前、褪色した並びの、かつて繁栄したヴィクトリア風のテラスは寂れた板を打ちつけられた家でいっぱいで、暗く鎮座し歯が欠けたように空っぽで、ウェストボーン・グローブの店の代わりに、スー・ライダーとキャンサー・リサーチのような慈善商店でいっぱいの、唯一買えるコーヒーはインスタントだった。僕の古い友人のアラン・フィッシャーはブライトンでの生活に飽き飽きし、ベッドを二つ置くには十分な小さなフラットに移り住み、わずかな家賃の半額を払った。安っぽい金属製のシンクと剥き出しの壁にも関わらず、僕はそのフラットを気に入り、ゴールドボーン・ロードの見窄らしいポルトベロ・マーケットの端からつまみ上げたガラクタで飾り出した。僕はハガキとイメージでそこを覆い、七〇年代のポップスターの無規則な皮肉たっぷりの写真と、古いアルバムのスリーブで、そして僕は玄関の鴨居に古いガラス玉をかけ、シュールなびっこを引いた黒いプラスチックのロバをバルコニーに置いた。角の教会のゴミ入れの側によく人が捨てていた路上から殆どの家具を僕らは見つけ、アランはヌマガメを風呂に住まわせた。フラットは電球の光の赤らみに浸され、そこには奇妙な安いオブジェと白黴の山と古本と古いアルバムの堆積がいたる所にあった。僕らは黒いのら猫を見つけて、彼をミースク(Meisk)と名付けた。彼は完全に蚤いっぱいでやってきて、部屋は寄生され、床板に手を置いたら、小さな体の巨大な軍隊で黒く変色してしまった。2.3年後に僕がアメリカツアーをしている間に、彼はいなくなってしまった。僕はある日ウィスコンシンでアランをディナーに招待し、物事は順調か尋ねると、万事順調で、ただ猫が2、3日前に消えたが、最終的に「ちょっとふっくらして」帰ってきたと言われた。僕は渋面を作ったが、やっとロンドンに帰るまでは何も考えず、不潔でツアーで疲労し、完全に違う猫がベッドに座っているのを見つけたのだった。アランはパニックになり、うっすらと似ている最初に見つけたのら猫をミースクの代わりにしたのだった。僕は彼がどこで攫われたか苦労して探し当て戻したが、ミースクは何も言わずに去り、彼の小さく滑らかな体と強烈に無関心な顔は友のいないロンドンのストリートに永遠に失われたのだった。

 僕とアランはマイク・リーの初期の映画とオートン(訳者註、ジョン・オートン)のEntertaining Mr Sloaneのような作品と、特にニコラス・ローグのPerformanceに、ポウィス・スクエアの道を下った所で撮影された、何回も見て会話を学習し、ノッティング・ヒルの他の奇妙な腐りかけの家に住む異常な辺境の映画のキャラクターを並行して楽しんだ。上の階のフラットには、成功以前のアニッシュ・カプーアというアーティストが住んでいて、彼の上のフラットは筋骨逞しいゲイのスキンヘッドのケヴィンという奴が占拠していた。情け容赦ないが、優しく思いやりがあり、友人には凶暴なまでに忠実だった。彼と恋人は10年後に2人ともエイズで死に、僕は彼らのことを「ザ・リヴィング・デッド(The Living Dead)」の歌詞に書き、彼らの麻薬常習協定の苦しみから何とか詩を搾り出そうとした。

 

>ぱすてんさん
アプリからだと記事は更新できてもコメントの返事ができないので、こちらで返信失礼します!
翻訳読んでいただけて興味深いとまで言っていただけて嬉しいです。
トム・パターン、原文でtom patternなのですが、tom pattern drum で検索したらドラムの叩き方が出てきたので、そういうことみたいですね。
トム・パターンだけで検索してもトムとジェリーのパッチワークしか出てこなくて泣いてたんですが、助かりました。
修正しておきます。ありがとうございまいした。