Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その54

ブレ様自伝翻訳行きます! 正確性なんてナッシング! とにかくあるのは勢いだけ! ば翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕が危うく木に殺されかけたりラスホルムあたりでジョン・オズボーンの演劇に参加しているふりをしてもがいている間、ヘイワーズ・ヒースに戻ると母が父の元を去ろうと辛抱強く待ち構えていた。彼らの世代の多くの人々のように、両親はあまりにも早く結婚した。60年代に遡ってお互いに誓いを立てた時、根本的に子供に近く、ロマンスとゾクゾクするのぼせあがりが消え、道を迷わせる子育ての霧が晴れて後、両親は真っ向から対決し、許し難い光にヒリヒリと真実に晒された。二人はさまざまな経験を共にしたにもかかわらず、実際に共有したのは僅かで、そうして過ごした年月は、避けがたくゆっくりと冷たく寂しく破局へと向かっていった。思うに、父が犯した致命的な間違いは母を当然のように所有し、何年にもわたる母への言葉は確かに無礼で好ましくない渾名と怠惰な冗談へと膨れ上がり、それは以前の優しさと労わりに取って代わり、父の母への麻痺した感覚を裏切った。両親が共にした25年の月日は、全てのどっちつかずの地点から熱情から無関心に変わる、よくある道をたどり、ゆっくりと無情な卑しい消耗戦へと移っていった。ある時は愛し合っていたのだろうけれど、実際本当に好き合っていたのか、情熱が消えそこに愛情も尊敬もなくなった時、共に保つべきささやかなことがあるのか、僕には判然としない。母は父のかつてないほどに暗くなっていく気分に無私に耐え、両親が当時いた「子供のためなんだから」という古めかしいやり方に、色々と諦め冷たい不満に身を置いていた。僕は母の確固としたストイックさに敬服するけれど、何年も不幸であったことを悲しく思う。父は、本当に、本当に打ちひしがれていたけれども、何も間違ったことはないと、完全に疑っていなかった。彼の脆い世界が粉々になったのは、ある日タクシーの客待ちから帰ってくると、母の物はなく、暖炉の前に剥き出しの手紙があることを見つけた時だった。彼は自分自身を空想の壁で覆い、その中心は彼の妻は幸福で結婚はうまく行っているという神話でできあがっていた。父がたびたびぶつける冷酷さはこの虚構には相入れないものに違いなく、だから父は無視することにしたのだ。母が去ってから何年も経っているにも関わらず、この拒絶にもがき苦しみ、「ずっと手を取り合って」いたか述べていたこと、それか似たような感傷的なことを、僕に言うのだった。父の腹立たしいまでの傲慢さは、よく僕にダリの有名な現実にいない、あり得ないまでにヒョロ長い足の象を思い出させるのだった。父の現実の脆い造りは、大いなる自己欺瞞の元に常に崩壊の危機にあった。けれど裏側には、もちろん、小さく怯えた男が隠れていて、彼の人生がばらばらになって、僕を悲しさでいっぱいにして、どうしようもなく助けてあげたくなった。僕はマンチェスターを離れることにして、多くの時間を父と過ごし、粉々になったカケラを掃除した。それと同時に明白に僕はあそこでの学生生活を退屈に感じていたからだ。ヘイワーズ・ヒースの狭苦しい寝室に戻り、父に紅茶を淹れ、父が泣きながら眠りにつき、父の小さな壊れた王国を歩き回る音が壁を伝うのを聴いた。憐れみの水溜まりへと溶けていく緊張と怒りに満ちた挿話を浴びせかけられる生気のない日々が延々と続き、レトルトパックの夕食と憂鬱な時間は、生前保護区をのろのろと歩いたり、座ってショパンを聞いたりして過ぎ、ゆっくりと父も現実に向き合うようになり、そろそろ僕も動き出す頃だと思った。