Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その46

ブレ様自伝翻訳行きます! 分かんない所はお茶を濁しててけとうに訳していることをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 一度、僕らはなんとかしてアシッドにさえ手を出したことがある。指紋の形をした一服のLSDでプリントされたシミだらけの紙の、奇妙な違法な小さな正方形を。そんな僕らの仲間に加わったのは、僕の生涯に渡る友人になる、悪漢であり、しばしば愉快なアラン・フィッシャーだった。80年代なかばの素晴らしい夏の日で、僕らが漂着したのはニューヨークのビーチハースト、優しく、時代遅れな郊外の遊園地が、ローンボーリング用の芝生と鉄道模型とゴルフの短いコースと共に、街の中心地から外れて端座している所だった。そして偶然にもそこは両親が一世代前に結婚式を挙げた場所であり、僕の人生でそれは最も奇妙で最も思い出深い午後となり、僕ら三人はミニチュアのゴルフコースの周りを何時間もうろつき、哄笑に震え、弱々しいおばあちゃんたちに、恐らくは何が面白いのだろうかと不思議がられながら、愉快そうに困惑して見つめられ、ゲームの得点は忘却された。その素晴らしい、素晴らしい時は、無限に縛られず将来に向かって手を伸ばされ、可能性にまだらに染められ、全ての若者のように、僕たちは自分たちは不死で、そういう時間は永遠だと思っていた。

 けれども、サイモンの話は後に悲劇として展開した。彼は二十代の始めに鬱状態になり、最終的に自死してしまった。彼と共にあった、あの朦朧とした夏に口づけされた日々は、年月が進むにつれ、より胸を突く思い出になり、彼はそうなってはいけない、温かみのある素晴らしい少年のまま永遠に残った。僕は父と共に90年代にヘイワーズ・ヒースに彼の葬儀に行き、葬儀がビートルズの「レット・イト・ビー」で終わるまで静かになんとか耐えたのだった。美しく哀切な旋律はどんどん膨らんで、僕はこの歌を聴きながら彼の寝室に座っていた午後を思い出し、とうとう制御を失い父の腕の中で赤ん坊のように泣いた。「ブレークダウン」という曲の歌詞は、僕の中にいる彼とともに書かれ、何十年も後、「サイモン」という曲で彼の思い出を一種公正に正そうと無為に試みた。けれど、小手先の音楽で人を完全体として表すことは絶対にできないことを学んだのだった。それは結局単なる美辞麗句となっただけだった。