Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その57

ブレ様自伝翻訳行きます! 最近の暑さで脳のCPUがショートしてるんで、益々おかしな文章になっています! それをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 僕は田舎の違う場所で違う人たちと過ごしながら放浪し始めた。僕の旧友アランはサウス・ロンドンのミッチャムを降ったところに彼の姉と住んでいた。ソファーがあったので最終的にしばらくそこで過ごすことにして、近くのセーフウェイのスーパーマーケットからバゲットとフムスを買って生活した。これはテレンス・トレント・ダービー(Terence Trent D'arby, サナンダ・マイトレイヤの別名)とブラザーの時代だった。アランには双子の兄弟がいて、彼ら二人との金髪で端正な顔をしていて、愚かにもみっともない八十年代様式を真似始め、それに僕は酷く不快にさせられたのだった。僕がいつまでも憶えているのは、アランが彼が靴箱のような狭い部屋を自分の人生の写真でいっぱいにしていたのだけれど、殆どが彼の前の彼女が裸で泣いているショットのようだったのだ。彼にお世辞を言って、彼がどうやってセクシュアリティーと覗き趣味と苦痛の要素を同時に含んでいるような状況を定期的にお膳立てしているのか聞き出すことは決してできなかった。僕がずっと思っていたのは、もし彼が主知主義の芸術的な面にほんの僅かでも傾倒していたら、彼らの展覧会に熱狂的な基礎が築けただろうに、ということだった。アランが暇な時は僕らはハムステッドまで地下鉄に乗って、彼の兄弟を通じて知り合った若い男娼の集団とぶらついた。僕らは訳あって彼らを「ハムステッド・マフィン(The Hempstead Muffins)」と呼んでいた。彼らは趣のある優美なジョージ王朝時代の村から離れて、しっかりと隠された寒々しい見た目の低所得者用の公営住宅に小さな家族のように暮らしていた。彼らの殆どはウェールズのような地方からの逃亡者で、政府からの追加支援金を得るために小さな仕事に手を出し、僕らにも割引旅行を売ってくれた。彼らはおかしくて奇妙なまでに人を感激させる集団だった。ーーーけばけばしく(flamboyantには「ホモ」の婉曲な意味もある)、面白く、文字通り性差がなかった。僕らはいくつかの午後を彼らと過ごし、フラシ天と金持ちのストリートを自家製の衣装で練り歩き、無法図にくすくす笑い、ゴミ箱の上をつま先旋回し、金持ちの母親に胡乱に凝視されながら、みすぼらしいジーン・ケリーのように街灯の周りをスイングした。