Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その62

ブレ様自伝翻訳行きます! 脳味噌がゼリーの人間が訳しているグダグダ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 ロンドンを探索する他のやり方で、僕とマットが開発したのは、「ダイス・ゲーム」という遊びだった。それはリューク・ラインハルトの本に多大な影響を受けていて、僕たちは地下鉄の駅に行って、サイコロを投げて乗る線を決め、何番目の駅で降りるのか決めるためにまた投げ、投げられたサイコロの巡り合わせに決められた列車に乗った。サイコロに示された駅で降り、何か関係のある物を買った。ウェストミンスターで小さなビッグ・ベンの模型を、アップトン。パークでウェスト・ハムのマグカップ等々。勿論、実際には、僕らがどっさりと積んで帰ってきたのは、ネーズデン新聞(Neasden Gazettes)とペリベール年代記(Perivale Chronicles)で、名前にちなんだランドマークやスタジアムのない場所が殆どで、でも、このゲームの重要な部分は、その冒険そのものを超えた重要性がないということだった。僕はドリス・ヒル(Dollis Hill)とセブン・シスターズ(Seven Sisters)とハンスロー(Hounslow)のような名前に愛着を覚え、それらは非常に興味をそそる、奇妙にエキゾチックな感情を喚起させ、音楽の中の土地の名前へのロマンスというのは、ウィチタとチャタヌーガのような土地にもっぱら位置付けられているのはどうしてなのだろうかと思った。僕が詳細を着彩するちょっとした技術を掴んだら、ロンドンの有名な地域に曲をはめ込み、そして、僕が歌詞の中にいつも地名を使わないにも関わらず、技術は僕への生命を曲にもたらし、うまく行けばリスナーにも伝わったていただろう。「アスファルト・ワールド(Asphalt  World)」は三者間の性的な嫉妬が複雑に入り組んだ話で、アーチウェイ・ロードをタクシーで行ったり来たりして終わりなく過ごした時間と、明確にハイゲートの中に位置していた。「バイ・ザ・シー(By The Sea)」はヴィクトリア・ラインの地下網のセブン・シスターズからの逃亡譚だった。そして、サディは「シー(She)」と「サウンド・オブ・ストリーツ(Sound Of Streets)」に出てくる架空の旅人で、ノース・ケンジントンの日焼けした道の上を放浪し、チェスタートン・ロードとラドブルック・グローブで革靴を擦り切らせた。作曲に於いてこうした細部にこだわることは、何年にもわたって思い出を反芻することになるのだった。正しく使われれば物語の中にきちんと位置付き、言葉に生命を吹き込むのだ。僕は普遍的な経験について作曲する時に陳腐な決まり文句(cliche)を避けるようになり、僕は正反対のことをしようと試み、最も力強い響きは、肉眼よりも顕微鏡的な見方に焦点をおくことを通じて達成されるのだと確信した。僕は自分の周りに見える世界について記録したくなった。現実の収まりの悪いクローズアップの。木立に引っかかった青いビニール袋、エスカレーターのカタカタ、ゴロゴロ鳴る音。素晴らしい、クソみたいな詳細の中のロンドンを。