Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その47

ブレ様自伝翻訳行きます! フワッと訳したんでフワッとした気持ちで読んでいたでける方のみお願いします。原典読まれた方で、明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 奇妙な、何かの狭間にいるような時間だった。僕は学校の格子と建造からは自由だったけれど、不可触の過去を掌握するにはまだ若過ぎて、気がつけばとりとめもなくぶらぶらとしていた。街の芝生の上での酩酊と、些少な万引きと、動力不足のバイクの、微かに女性差別的で偏狭な世界に浸かるようになった。友人のサイモン・キャンバースと僕はいくらかの金を擦り合わせて安い中古のYAMAHA  DT 50sを買い、ブーンと飛ばしてバチバチ音をたてながらヘイワーズ・ヒースの環状線と交差路を走行し、交通法を嘲り心配事の種となった。僕らの気に入りの悪戯はスパイダーマンやミスター・Tのマスクをバイクのヘルメットの下に被って、車を追い越して、彼らの周りに頭を旋回させて、ドライバーの動揺と困惑の表情を眺めることだった。僕は大抵、僕の父がくれた60年代の古い黒のバイク・ジャケットを見に纏い、僕は背中に白い文字で「ルー・リード」と書き、髪型はある馬鹿げた夜に鏡の前で自分で苦心しながら愚かにも完成させたものだった。僕が目指したのはいかついパンキッシュな刈り込み頭だったのだけれど、結局、研究所から逃げ出したのか、または癌患者のようなみすぼらしいボロボロの見た目になったのだった。信じられないことに、当時の若者は確たる試験や訓練なしに動力のあるバイクに乗ることがまま可能だった。僕は文字通り路上感覚ゼロの恐ろしいドライバーで、自分のバイクのメンテナンスのやり方を全く理解していなかった。だから僕がすり減ったタイヤで雨の中不正手段により車を追い抜こうとして、とうとう壁に激突し、危うく死にそうになったのは、誰にとっても当然だと思われた。僕の脚に未だうねり上がって永遠に残る細長い傷跡は、若さゆえの軽率な無鉄砲さをいつまでも激しく思い出させる。僕が思うに、この期間に若者がする自分の限界と境界を探し、そうあるべきだと僕が気づいた男性性に負けまいという試みに己を投じたのだった。その空想は僕をありふれた道へと通したけれど、僕のくすんだ茶色い衛星都市の明らかな粗野な文化によって歪められていた。僕が成熟しありのままでいることに自信を持つ前に、何者かになろうという考えでメチャメチャになったのだと思う。自分にあまり似合っていない服を試して、脆い階層を展開し、ほぼ非現実的な存在であろうと奮闘する生き方に、全ての人間が纏う脆弱な感情の殻に包まれて。仲間と両親とアイドルから集めた、他の人間の個性の集合体を。