Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その72

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 厚い黒髪のモップの裏に隠された僕のバーナードへの第一印象がとても物静かで若いということだったが、なぜだか言葉少なな返答と未成熟な外見にも関わらず、シャイには見えず、感情を抑え奇妙に自信ありげだった。僕らを観察して静かに重みを測っている感覚があった。おそらく僕らは彼には三人の間抜けなミドルクラスの自惚れ屋と映ったのだろう。僕らの貧弱な能力は確かに理想には程遠く、一度紅茶を飲んで作法を観察されたら、やっと彼のギターを聴けた。その驚くべき演奏技術の質は、僕らの野心など空虚で根拠もない愚かなものだということを明らかにした。僕はいつでもバーナードの演奏は、40ワットのリハーサルルームの暗い電球の下にさえあっても、非常に抗しきれない魅力があると思っていたし、ステージのギラつきと輝きから離れても、彼が音楽に全身全霊をこめているあり方は強烈に魅力的だった。他の多くの人間が暗示したり模倣することに没頭するが、バーナードは完全に自分の物にしていた。暴力的であると同時に柔和で、直接的で意味深長でもあり、彼はいつだって、あの初めて会った瞬間から、素晴らしく才能がある人物だった。彼の演奏には外科医の強さと技術があり、楽器を手術しているようで、だから彼を見ている者は誰でも、患者や飛行機の乗客の、避け難い、喜んで専門家の手に委ねる同じ喜ぶべき状態に陥るのだった。僕は最初の頃から称賛と世界が僕に与えるべきと思う地位が欲しいのなら、彼に追随しようとする僕次第ということに気付いていた。最初の会合の会話の断片で僕が覚えているのは、彼が僕らの年齢を訊いたことで(その時僕はちょうど二十二歳だった)、彼が熟考して断言したのは、「なら、そろそろ始めないとな」というようなことだった。彼は正しかった。寝室で腰かけ夢について語る野心を持った夢想家でいまだいるには、僕らはあまりにも歳を取っていた。バーナードとの邂逅がなければ、それこそが正しく僕たちが取り残された状況だった。勿論、最初から全て上手く行った訳じゃない。力量の差を橋渡しするには時間がかかったし、同様に、何かのケミストリーが顕現するまで長期間の鬱屈とした状態が必要とされた。僕らの場合、実際には大方の場合よりも長く感じられたが、僕らが適切な道具を見つけて、身を起こすことを待ち侘びている美しい彫像が眠っている大理石の厚板の中にいる、誤引用されたミケランジェロ、そういう感覚で、熱狂の萌芽に鼓舞された。最初にバーナードが演奏した作品は「ミラー・マン(Miller Man)」という名前だった。それは明らかにジョニー・マーのスタイルへの賛同がある複雑でメロディックであったと記憶しているし、実際、バーナードの稠密で錯綜した作品に詩とメロディーを溶接しようと僕は試み、スミスの曲の躍動は僕らのモデルになった。最初の2、3週間を超えると、彼は長く入り組んだアルペッジョを基調とした作品を提示してきて、それを正すためにもがき苦しんだ。僕はまだ音楽のセンスを磨いている最中で、でもキラー・フックのトドメの一撃やストーリー・テリングの技術の統制もなしに、言葉の優位性に過剰に隷属していた。