Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その84

ブレ様自伝翻訳行きます! 一切進化の見られないうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 クイーン・メアリー・カレッジに在籍中、バーナードはナディールという奴に出会い、彼は僕らをマネージメントし始めた。彼は低レベルの大学の催しのマネージャーの一員で、その中にはULUのチケットオフィスで働いているリッキーという人物も含まれていた。彼は、そこで彼と一緒に働いているドラマーを紹介してくれて、僕らはプレマイセズでオーディションを設定した。彼の名前はサイモン・ギルバートだった。僕はサイモンが入ってきて、シャイで礼儀正しく非常に魅力的だったことを覚えていて、そして今日に至るまで、彼がそれほどシャイでなくなったにもかかわらず、年月の経過は温かみと優しさの深さを明らかにし、僕の彼への認識は然程変わっていない。彼はばかげたDM(訳者註、おそらくドクター・マーチンと思われる)の、ピッタリとしたズボンを履き、逆立てた髪をブロンドに染め、ザ・クラッシュThe Clash)の失われたメンバーの1人のような見た目で、今日の実際の彼の見た目とそんなにも違わなかった。僕らは2、3曲演奏し、極めて最初の段階で、かれこそが欠けていた要素なのが明らかだった。僕はずっとサイモンのドラム・スタイルを愛してきた。決して煩雑過ぎず、いつでも原始的で力強く、明らかにポール・クック(Paul Cook)とバジー(Budgie)とトッパー・ヒードン(Topper Headon)と他の全ての、僕が初めて恋に落ちた荒々しい怒れる音楽に多大な影響を受けていた。サイモンのインプットは重要な鍵で、しばしば俯瞰的で、僕らがなろうとしていたバンドの要素だった。彼は「グルーヴ」へと愚かにも脱線しようとする僕らを軌道修正し、バンドに眠って横たわるパンクとポスト・パンクの要素を苦労して搾り取った。「ザ・ドラウナーズ(The Drowners)」の部族的なトム・パターン(訳者註、tom patternはドラムの奏法の一種)、「ムーヴィング(Moving)」と「ドリー(Dolly)」のような曲の熱狂的な混沌、僕らの初期の音楽の癖のあるエッジは他のドラマーの手によって発展した。実際にサイモンにしつこく頼まなかったが僕らは全員彼は溶け込んでいると確信していて、ますます興が乗ったリハーサルの数週間後に、僕が覚えているのは彼が僕をおどおどと呼び出して礼儀正しく彼はオーディションに合格したのかどうか訊いたことで、それを今でも時々僕らは愛情を持って彼を揶揄っている。

 バンドはようやく完成され、僕らは猛烈に作曲とリハーサルに取りかかった。そこでサイモンと共に、エッジをより鋭く展開し、よりいやらしくパンクな、「ゴーイング・ブロンド(Going Blonde)」と「ペインテッド・ピープル(Paintd People)」のような、今でも恥ずかしくない曲を最終的に思いつき始めていた。「ゴーイング・ブロンド」は熱狂的で、意識の流れの絶叫で、「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」の四散した稠密な拍子に少し影響され、テリーというジャスティーンと僕が作り上げた架空の人物を出している。彼は微かに理想化された、労働者階級の、偽物のダイヤモンドのピアスと安いラガービールとビリヤード場の空想の世界に住んでいて、彼のキャラクターはマーティン・エイミスの「ロンドン・フィールズ」という、1990年に僕が夢中になった本に大いに影響されていた。ジャスティーンはずっとその詩が大好きでエラスティカはそれを「シー・ザット・アニマル(See That Animal)」と後に改題してカバーした(それは僕が「その獣を見ろ/ヘビー・メタルになれ!」と叫ぶ所から始まる)。「ペインテッド・ピープル」嘲弄的な上流社会のばかにした長広舌はやっとを日の目を見た最も古い曲の一つで、僕らは今でも演奏しているのだった。短く不快で酷く攻撃的な、いつも奮起する怒りの巧みな奔流を生み出している。そして、サイモンが欠けていたジグソーパズルの一片を提供し、マットも生きたドラマーの一撃に噛み合うこれまで以上に野心的なベースラインを書くことに才能を同時に展開させ、新たな独自性の層が音楽に付け加えられた。決して喜んでのろのろ進んだり煩雑さに占められることはなかったが、しばしば複雑で豊かなメロディーだった。マットは以前からずっと音楽についてきちんとした概念を持っていた。彼が最初に認めたのは彼が決して「ミュージシャンズ・ミュージシャン(musician's musician)」ではなく、絶対にそうなりたくなかったことだ。彼の力、そうであるバンドへの多大な重要性が、彼のヴィジョンと嗜好にはもっと潜んでいた。彼はいつだって僕らがそうでありそうありたかったバンドへの自意識をより素晴らしく展開させた存在で、今日に至るまで彼はいまでも極めて重要な声を持っているのだった。彼がいなければ、「トラッシュ」のような自己に目覚めた曲は絶対に生まれなかっただろうし、きっと僕自身の「世界(world)」と特性と風景が展開するバンドのセンスは未発達に終わっただろう。けれども、サイモンの存在は彼の中に音楽的な物を解放し、彼は素晴らしい役割を生み出した。「ヒーズ・デッド」と「パントマイム・ホース」と「トゥー・ザ・バーズ」、後の「シーズ・ノット・デッド」と「ワイルド・ワンズ」のような曲はそれ自体で美しく感動的なベースラインを持っていて、マットはそれら初期の曲の音と感覚に極めて重要だった。