Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その48

ブレ様自伝翻訳行きます! 調べればすぐ分かることも調べずに書いているので、色々おかしいです! それでもよろしい方のみご覧ください。原典読まれた方で、明らかにおかしい箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 ある夏、若い熱狂の愚かな瞬間に、サイモン・キャンバースと僕は一緒に安く休日を過ごすことを決めた。僕らは放埒な時を過ごせるはずだという噂によってイビザに行くことを決めた。そこは冒険と遭遇を求める初心な10代の探究心に訴えかけるものがあった。不幸なことに、僕らは気づけばサン・アントニオ、恐ろしい18時から30時未明の一種のサファリパークにいて、レッド・ライオンというパブとケバブの店で完成された低価格の最悪なイギリス元素の小宇宙は、ラガービールと絶望し興奮に満ちたケタリングの独り身の男の群れがいっぱいに彷徨っていた。最初の晩、サイモンは大酒を飲み、乾きを癒すために生水を飲んだために脱水症状に陥り、次の十日間をベッドでのたうち回り苦しみ、胃腸炎が彼の体を突き抜けるように作用して、それに胃をガッチリと掴まれた。僕は一人で不潔な吐瀉物で洗われた道を徘徊し、疎外され憂鬱な気分で誰からの助けも得られず、マーティン・パールのような「チューズ・ライフ(Choose Life)」のTシャツ(Katharine HamnetによるワムのMVにために作られたTシャツ)とイングリッシュ・ブレックファストの地獄に閉じ込められ、無鉄砲で大変に素晴らしいはらはらドキドキの冒険の向こう見ずな約束は苦い空想に変えられ、僕が内気な10代だという冷たい現実にスポットライトがあたり、気づけばパーティーに入ることも人との出会いもできないのだった。皮肉なことに、何十年も後に、その島の本当の美しさが明らかになったのは、僕の妻が北部の森閑とした穏やかな農村部を見せてくれたことによってだった。僕らはそこで終わりなく満たされ、息を切らすような夏を過ごした。島の塩辛いもう一つの面は、奇妙で遠く離れた影となった。

 ヘイワーズ・ヒースに戻り、カレッジで他の学期が始まり、一度生徒が帰省すると、僕はよく管理人のタバコの煙に満ちた小さな部屋に入り浸り、僕のヘアスプレーと服のバケツの塊を整理して、夜に働きに行った。カレッジのトイレを掃除し、トイレット・ペーパーを替え、ソープ・ディスペンサーに石鹸を入れ、タイル床をモップで拭いた。今このことを書いていると、もしかしたら不快で屈辱的だと思われるかもしれない。でも、僕はそんな風に思っていない。お金を稼ぐことは単純に楽しかったし、それはどうにせよ奴隷労働ではなかった。殆どの時間を座って喋って手巻きタバコを吸って、薄いミルクっぽい紅茶を管理人と一緒に飲んだ。筋骨逞しい屈強な好ましい元海兵で、腕にはぼんやりとした青い刺青だらけで、厳しい髪型の、エピソードの工場だった。

 カレッジの近くには工場地帯があり、僕はなんとかしてウスター・バルブと呼ばれる工場で一夏の職を得たのだった。そこは寒々とした、ごちゃまぜの疲れきった、一日中不平を口にしタブロイド誌をニヤニヤしながら見て過ごしているような中年男でいっぱいの、絶望的な場所だった。僕はハンマーを渡され、外にある工場のバルブの巨大な山を見せられた。僕の仕事は、個々の休憩のために、それぞれの方向から突き出される金属の腕をちょっと叩き、それから腕のないそれを新しい堆積に投げるものだった。夏の終わりまで、来る日も来る日も同じだるい手足のしびれてくる仕事をしたのだった。そうして僕はモップを恋しく思うようになるのだった。

 

18-30 safari park という言葉がよく分からず、zero-dark-thirtyが「未明」という意味なので、夜遅くから未明までやっている、という意味なのかな?と思いました。それか、7−30が「気の狂った」という意味があるので、それもあるかもしれません。