Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その65

ブレ様自伝翻訳行きます! 相も変わらずのうんこクオリティの翻訳です! それをご了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 彼女は他の瀟酒な住宅街の豪勢なワンルームのフラットに二匹の猫と暮らしていて、この時はケンジントンのホートン・ストリートの、不恰好な剛健様式の町役場とは正反対の所にあった。僕は定期的にそこで過ごすようになり、ほとんどそこに引っ越したようにも見え、僕らはケンジントンからフィンズベリーへと頻繁に行きつ戻りつし、その道のりは彼女と同義になった。何年も後に、メーダ・ヴェールを抜け、アバーコーン・プレースを行き、アビー・ロードを超えてセント・ジョーンズ・ウッドへと車を運転させると、彼女のオフ・ホワイトのルノーに乗って喫煙して、カーステレオにかけたカセットテープの音楽を聴き、デヴィッド・ボウイの「Cygnet Committee」の歌詞について話したあの終わりのない時間を思い出すのだった。僕がその秘密をゆっくりと剥ぎ取っていくにつれても、ロンドンは僕にとって永遠に魅力的な都市になった。マーブル・アーチの壁にはカチカチの白い文字で「現代生活はゴミだ(Modern Life is Rubbish)」と小さく落書きされ、僕ら二人とも好んで復唱した。数えきれないほどそれの前を通り過ぎて、絶対に僕らを魅了した。大胆で衝撃的で、色褪せた灰色の都市を背に完全に予期しないことが起こるのだ。彼女のフラットは優美な軒蛇腹で高天井の、高品質な富が充満していた。金縁の鏡、質の良い家具、大きなテレビ。けれど、寝室の布団の隣にビンテージのダンセット(Dansette)のターンテーブルがあり、古いレコードの山はほぼスタン・ゲッツStan Getz)とアストリド・ジルベルト(Astrid Bilberto)のようなイージー・リスニングヴァン・モリソンジョニ・ミッチェルのような古いフォークロックで、挑発的な音楽や同時代の音楽は特になかった。ジャスティーンはきっと僕にアートを教えてくれたのだけれど、僕は最終的に彼女を決定づける音楽を彼女に披露した。彼女は僕に出会う前にフォールやハッピー・マンデーズを聴いたことはなくて、けれど、彼女の生来の奇異への興味と型破りで興味深いカルチャーに浸りたいという渇望が彼女を全ての耳障りなビートに恋に落ちさせた。生徒と教師の力関係は逆転した。スミスの「リール・アラウンド・ザ・ファウンテン(Reel Around the fountain)」やフェルトの「プリミティブ・ペインターズ(Primitive Painters)」のような曲を初めて演奏するのがとても好きで、何かを見つけた感動で洗われ、彼女の目が見開かれるのを眺めるのだった。父の流れ出る傲慢さを模倣して、彼女にそんな古臭い七〇年代のレコードなど忘れて、これからはこれこそが僕らが聴く音楽なのだと言い聞かせたことを覚えている。