Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その68

ブレ様自伝翻訳行きます! 雰囲気で読み雰囲気で訳している雰囲気文章です! それをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします! 誤字脱字のご指摘もお願いします!

 

 ある日僕はカレッジの事務所に呼ばれ、座って、母に電話するように言われた。父から逃亡してから、母はラングワスビーという湖水地方の小さな村に移住していた。2、3回、息を呑むようなカーライルを沿って歩きセトルラインへと行き、母と母の新しい恋人と共にカンブリアの丘に埋もれた荒地用のコテージの中で過ごし、ベイクド・ポテトを食べ、散歩に出かけ、ラジオを聴きながら素描する母を眺め、彼女が渇望していた田舎の静かな生活を手に入れたことが幸せだと感じた。僕が渡されたのはペンリスの病棟の電話番号だった。混乱し、ダイヤルを回し、待機するように言われ、ようやく母に繋がるまで待ち、バチバチという音越しに母が言ったのは、母が末期癌だと診断されたということだった。とてつもない知らせを経験しようとしている人間にとっては、それがどれだけ衝撃的で腑を抉るようなのかは説明し難く、自分の世界の根幹がぐらぐらと揺らいで降下する感覚に襲われた。全くの不信感と怒りの潮と無力感が後を追ってきた。眩暈のするような狼狽と拒絶の中、僕は看護師と話すことを求めた。僕の母の余命は六ヶ月以下だという悲痛な知らせを包み隠さず確認した看護師に。

 次の日僕とジャスティーンは湖水地方への列車に乗り、母のコテージでブランディーヌと共に数日座って過ごし、違う回答を探しながら何度も同じ意見に辿りつき、いつも同じ回答しか得られなかった。これは終焉への一方通行でしかないのだ、と。

 最初の衝撃は薄れ始め、生活の拠をロンドンに戻し、母が奇妙に楽天的だった時点で来訪できるように調整した。けれども、彼女が到着する頃、見た目はもう痛々しく、胸が張り裂けそうな骨ばってやつれ、化学治療によってボロボロだった。明らかにひどく具合が悪かった。終焉に向かってさえ彼女の克己心は息を呑むようで、より弱い女性が病床に着く頃、何百マイルを超え、ロンドンの活気の中を跛行した。僕らは彼女に食事を与えでき得る限り心地よい環境を整え、僕の生活を少し披瀝したが、大きな問題は無視し、座って紅茶を啜り談笑し、僕はなんとかして内気で夢見がちな、彼女がいつも気にかけていた小さな子供が、彼女がいなくてもちゃんとやっていけるということを示そうとした。どんな息子もそうであるように、母を盲目的で根源的な愛で愛し、どんな母親もそうであるように、彼女は僕の要求を満たすために月日を費やした。生涯に渡る無私の給餌と修繕と慰撫と世話は終わろうとしていた。最後に僕らの目が合った瞬間は、彼女がホーントンストリートでタクシーに乗車する所で、黄ばんだ、かつては美しかった顔で最後に僕に微笑んだのだった。