Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その69

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 母の死で僕は壊れてしまいそうだった。何日も何日もベッドから出られず、ただ二、三時間おきにトイレに行くだけで、腑抜けて先が見えず、柔らかな忘却の羽布団が待っていた。食べず風呂に入らず帯状疱疹を発症させた。胴の周りに嫌らしい怒りの輪のシミができた。あの時のことはあまり憶えていない。ジャスティーンのフラットにいたことは分かっている。きっと彼女が神経を使って僕の面倒をみてくれていたのだと思う。でも、僕は彼女の紫のシーツに包まれ打ち拉がれ動かずにいたこと以外に記憶がなく、外では車が忙しく過ぎ世界は進んでいた。この事を書くのは辛く、渋面を作る人もいるだろうが、僕は葬儀に行かなかった。僕はただ荒んでいた。僕は無味乾燥で格式ばった擬似宗教的な儀式が果たして、母の記憶が、真実の価値ではなく不可触になることによって生かされ続けることになるとは思えなかった。僕は彼女の息子であることは世間に僕の苦痛を正式に知らしめる必要はないだろうと感じていたのだと思う。誰の問題でもなく僕の問題だからだ。彼女と僕の間で交わされた内々の契約だ。今日ではそれを多大に後悔している。僕の不在ではない終結の仕方を未だ探しながら。死後から数年後、遺灰が撒かれたサセックスカーバーン山に非公式な印を作ろうと計画したことがあったが、僕が公式に最も接近して認識したのは、「ザ・ネクスト・ライフ(The Next Life)」の歌詞の原型にだった。奇妙なことなのだが、それを書いた時点でさえ、それが母についての歌だとは判然とせず、歌は謎に満ち、時折移り変わり作曲者にとっても別な意味を明らかにした。作曲をしている時は感情ーー例えば喪失ーーについての歌だと頻りに認識していた。僕は単一の状況を同時進行する経験として書けなかったし、別な人たちが僕の思考に干渉してきて、一種の混合物となって形づけられた。それ故、しばしば一つの曲の主題が違う事象によって喚起されることがよく起こる時、曲が何ついてのものなのか議論することを単純に見做していた。僕の作曲方法は色んな意味で非常に直感的で、ちゃんと自制ができないように、時折ほぼ無意識だった。頭が空回りする前にペンを走らせるようにし、数年後に曲に意味を留め置くことができるようになるのが頻繁にある。このアプローチが好きで、それが曲に生命を吹き込むのだ。同様に迂遠な歌詞が最も力強く、時として僕自身の曲が何について書かれたことを知るのはつまらないと思い、スリルの一部が僕に上手く作用した。だから「ザ・ネクスト・ライフ」の歌詞は一般的な喪失についての沈思として書かれたが、数年後僕はそれが胸が潰れそうなほど明らかに母についての曲だったと分かったのだった。