Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その82

ブレ様自伝翻訳行きます! 何の知識もないど素人が直訳したうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 今、正にこの時点では、イベントに苦労なく呼ばれ、それはこの本の重要な点ではないが、ある時マットと僕はヘイワーズ・ヒース第六学年カレッジから知っているある男が視界に現れる。彼は明らかにちょっと金を持っていて、レコードレーベルを発足させることで音楽業界に足を入れようとしていて、だから2、3曲のレコードに金を出すと僕らに申し出たのだ。それはおそらく厳密には、正式なレコード契約の感じではなかった。魅惑と恩恵の感覚を得るにはそれは余りにも控えめで安価だった。彼の自家製の「レーベル」には歴史もなく独自性もなく名簿(訳者註、おそらく他のミュージシャンの名前が入っている名簿)もなかった。よく分からない響きの三文字と控えめな約束だった。実際に何か歌ったかは覚えていなくて、枢要だったり特にエキサイティングな感じだったとははっきりと記憶はしていないけれど、それは僕らがちゃんとしたスタジオで少しの時間を過ごしたということだった。彼が僕らに見繕ったのは、サセックスを降った、皮肉なことにヘイワーズ・ヒースから一〇〇万マイルも離れていない場所だった。ロックの伝記と雨の日の午後にNMEの探索の日常食で育った誰もにとって、レコーディング・ルームの図像はよく見てきた輝きを放ち、制御室と防音されたサウンド・ブースの迷路の間で多くの時間を過ごし、秘密の花園への鍵を発見した純粋な子供のように徘徊し、フェーダーとキーボードに指を滑らせ、私的なロック幻想に没我した。実際のレコーディングの作業は二次的に見えたが、ようやく僕らは平静を取り戻し、僕らのアイディアをちゃんと実行するための頼りない一歩を踏み出すのだった。しばしばバンドが最も興奮するのは書かれた最新曲に関してだ。その時の僕らの曲は「ビー・マイ・ゴッド(Be My God)」だった。躍動的で催眠的で、ほぼ最高のグルーヴが、ボリュームペダルを通じてバーナードの迸り拡大するギターと始まったが、僕の貧弱なボーカルと酷い歌詞のせいでつまらないものになってしまった。僕らはその過程で躓いたけれども、真新しいスリルを楽しみ、孤絶したレコーディング・ルームとミキシングデスクで過ごした2・3日後、録音を仕上げ、テープと共にM23号戦を運転してロンドンに帰り、計画と可能性に息もできず雁字搦めになって。