Brett AndersonのCoal Black Mornings 翻訳ブログ

Brett Andersonの自伝翻訳ブログです!

CBM その92

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 勿論、それは複雑な出来事のタペストリーだったのだが、おそらく僕を変えるための最も力強い一つのエンジンで、育っていくバンドのケミストリーと作曲者としての展開から離れて、僕は一個人になろうとしていた。もし僕が柔らかく陽気な小さな泡を残していたら、スエードは誕生しそうになかったし、きっと色んな意味もなく、だ。若者として、僕は心地よい気だるさに浸る傾向があり、それを克服するために地震のような経験をして、僕が感じていた喪失と怒りの感覚を表現し、進歩して、バーナードがずっとしてきたことに適合する必要があった。不幸に直面した時、僕はアーティストとして最高の能力を発揮してきた。何かに反対したり障害を乗り越える時に。物事を気楽に捉えすぎるといつも、スイッチを切って詰まらない作品を制作した。うんざりするほど、使い古された「苦しめられたアーティスト」のパラメーターの原型におそらく僕は制限されているのだろう。創作の触媒として緊張と摩擦を追求する必要にある。死別と失恋のボディーブローは僕の中に完璧な環境を生み出し、それはまるでシャーレの中のバクテリアのように、何か熱狂的なものへと増殖していった。真実は、その出来事の前の僕の作曲には型式や音調や本当の人格を必要としていたことだった。生き方の一つを美化した「ビューティフル・ルーザー(Beautiful Looser)」のような記録をするぼんやりとした感性があったけれどーー「シーズ・ア・レイアバウト(She's A Layabout)」や「ナチュラルボーン・サーヴァント」のような貧弱な歌で、理想化された給付金生活と怠惰と午後を、オーストラリアのメロドラマを見ながら座って無駄に過ごすーー詩や技術や機知なしに、ステレオタイプでしかないそれを彩ろうとした。振り返れば、僕は僕の家族の卑しい素性にいくらかの優雅さと威厳の意味を注ぎ込もうとしたのだろう。僕は僕の両親とその両親が貧困の灰色の四枚の壁の中で生きて死んだことをずっと悲しく感じていて、お古の服と無料の学校給食と意味も将来性もない仕事の僕らの見窄らしい世界に意味を与えようと必死だった。それは一種の逆転した俗物根性とおそらくは父親から受け継いだエリート主義から生まれ、よって僕は僕が生まれた社会的なパラーメーターを祝福すべきものと見たのだ。ああ、僕に他の選択肢があったのだろうか? それは僕がすぐにでも逃げ出しそうにないことのようだった。不幸なことに、作曲はぼんやりとした微かに不快なものとして現れ、ちゃんとしたメロディーの指揮なしに、本当の存在と一突きに欠けていた。喪失の苦しみと置換の混沌でイライラし、けれども、それらの考え全てが突如として要を得た存在に結晶化し、事件の感覚と情熱が注ぎ込んできた。突然に素晴らしく、歌が出現し始めたのだ。僕らにとって他の大きな跳躍は、よりよいフレーズへの欲求と作曲におけるセックスの出現でもあった。必ずしも性的に刺激的てあるとはしないが、歌詞の卑猥な言及は、音楽の芯を意味している。弾むリズム、主要なギターのパート、急上昇する僕のシンガーとしての野放図な歌い方。「ナチュラルボーン・サーバント」や「ソー・リベレーテッド」のような初期の曲のデモを聴くと、僕がそれらを表現する最も正確な言葉は「無性(sexless)」だ。処女や童貞が作ったような音楽に聞こえるー性欲やそれについての問題もなく、情熱も根性もなく、ただ感じるのは自意識過剰な冗漫さと跛行だ。僕とバーナードが自分自身を深く掘り下げ、怒りと憎しみと欲望の初期の上昇に踏み行った瞬間が、僕らが本当に作曲家として成長した瞬間だった。ある日僕はレイトンのバーナードのフラットに行ったら、彼は僕を中に案内して興奮してデモを披露した。それは弾む、部族的なドラムマシーンのパターンで始まり、ぐさりとするほぼグラミー賞もののギターの厚板がついてきていた。お互いを見詰めて、僕らは何かが変わったことを知覚したと思う。僕はカセットを持って急いで帰宅し、昼も夜も書いて過ごし、朝になるころには「ドラウナーズ」ができていた。その歌は、ある意味、僕ら全員の人生を変えるよう運命づけた。ムーアハウスロードのバルコニーで座って喫煙して、古い持ち運び可能なタイプライターを叩いて、アランが帰宅したら興奮して取り乱して彼に襲い掛かり、誇らしげに彼の顔に歌詞を押しつけ、僕らは何か特別な存在になろうとしていることを悟ったことを覚えている。どんな意味であろうと、「ドラウナーズ」は決して実際に分裂に「関係する」曲ではないが、「パントマイム・ホース」と「トゥー・ザ・バーズ」と「ヒーズ・デッド」と「ムービング」と他の多くの曲は、孤独な黒炭の朝に引き裂かれた、熟慮と後悔のプールから生まれた。そして振り返れば、だからそれら全ては、マイケル・J・フォックスの有名な、束の間ゆっくりと正体を表す痛みについての言葉の知恵のように価値があるのだ。これらは貧弱ではなく、意味のない調子はずれの歌でもない。聳え立ち情熱的で、優美さと事件と暴力で縁取られている。突然に意味を成し始めたのだ。失敗と激しく苦しい嫉妬は僕が書いている曲に注ぎ込まれ、物語と意図を曲に与えた。ようやく僕らが「権力」を手に入れたような感覚だった。
 「ドラウナーズ」はわざと迂遠だが、僕が展開させよく見慣れた息詰まる失敗した関係性を設置した曖昧なテーマの弄びだった。僕が出会ったラウラというカナダ人の女の子と過ごした時間をだらりとした元にしている。彼女はホックニーのヴィクトリア・パークの真向かいの家を不法占拠していて、ぼろぼろの家々、今では百万ポンドの価値があるだろうが、九〇年代初めはキャットフードとパチョリ香油の臭いでいっぱいで、よろよろ歩く鼻輪をした薄汚いパンクの若者とストライプのタイツを穿いたヤクをキメたドック・マーティンのブーツを履いたゴスの女の子の群れに汚染されていた。彼女は熱狂的で、時として辛辣で、友人と僕は神秘的で、時として魔女的な彼女の存在に終わりのない時間を楽しんだ。彼女のレースに覆われた陰影に富んだタロットと香料とホール(訳者註・コートニー・ラブのバンド)の世界に。「私をオカしている(taking me over)」という繰り返しは、「フック」の効いたボーカルの強さを本当に習得した初めての時だった。子供じみた単純な至言の響きは捉えどころがないが、追求する価値がある。